3.11が過ぎた。
 
6年前,いろんなものを失った。
車を失うくらいなら,死んでもよかったのに。
 
なぜか生きている。
今の状況,こうなるくらいなら,あの日,2万人の犠牲者の中にいたかった。
 
慰霊もしたが,何が収まるわけでもなかった。
6年過ぎたが,何も癒えていない。
 
相変わらず,ふざけているものだらけ。
全部,成敗するべきだ。
 
 
 
内容はガラッと変わるが,あれはダメ,これでなければダメ,という世間一般の「固定観念」とやらを逐一吸収していると,何もできなくなることに気づいた。
 
そして,実質そうじゃない「例外」となる人の方が,勝ち組に属している。

別に持っている車が軽自動車でも、燃料食いまくりのクーペでも問題ない。

酒癖が悪くても問題ない。

ヘビースモーカーでも問題ない。

性欲しかないばかたれでも問題ない。

収入が妥協ラインと言われている400万いかなくても問題ない。

非正規でも問題ない。

体格が著しく不健康でも問題ない。

凶状持ちでも問題ない。

人間性に欠陥だらけでも問題ない。

明日死ぬ人でも問題ない。



ということは、じゃあ、なぜなのだろうか。
失敗に終わったこの人生を振り返る。


答えは簡単だった。




自分だから、である。



何の性質を持っている(いない)から、でもなく
何を持っている(いない)から、でもなく
 



"自分"に、全世界からNOが突きつけられた。

その結果が、この人生の終末だ。


達観するのに、早いも遅いもない。
人生は、もう終わった。

ケジメは、自分でつける。
見切りも、自分でつける。


あと4年。

何のフォローも出すことができない、
救いようにない段階へ進みしその時、
新たなステージへと進む。



誰も、この世とは言った覚えはない、ぞ。
3月。

来月からは、2017年度になる。
日本独自の思考過ぎて、あまり好きではないのだが、春という季節自体は嫌いではない。

自分の誕生月であり、4月生まれの人には、自分の思う、優秀な人が多く産まれている月なことから、あやかりたいとは常日頃から思っている。

一番あやかりたい人物は1/12
世界規模の創設者は早生まればかり。

もっと目線をGlobalに持ちたい。
まずはDisagreeをはっきり伝えられるようにならなければ。
日本人からの脱却。

今年一年はまずは本当の外資人間になるというところと、ぬるま湯から脱することを強く胸に刻みつける必要がある。

日本人であることを恥と思うことは最近多々ある。
日本という国が自分と合わない。
ふとした拍子に出てくるJapanismが憎い。

どんどん潰していかないと。

PrinciplesにDisagreeしてはいけない。



ふとした拍子に思ったことがある。

とある固定観念があったとしよう。
それに対してのフォローは「そうじゃないこともあるから」「世の中みんなそんな人じゃないから」が典型的である。

メディアによる固定観念なら、まだ分かる。

とあるヤクザもののゲームのやり過ぎで、居酒屋に行けば必ず乱闘とカチコミとガサ入れがあるという先入観と固定観念に支配された人間だって…あっ、自分だ。

しかし、これが事実に基づくものならどうだろう。

100万人に1人くらいの割合で起こり得るできごとやシチュエーションに先入観を持つだろうか。ほとんどのパターンにおいてそうだったから、先入観や固定観念として形成されるのでは無かろうか。

例えば、身長差。
例えば、外見。
例えば、馴れ初め。

どうだろう。
身の回りには、典型的な共通点がないだろうか。
道行く人々に、例外を見いだせるだろうか。


つまり、過半数以上が事実として成り立ってるのだから、それはもう先入観でも固定観念でもなく、紛れもない事実であり、その例外(exception)に希望を抱いても、何の意味もないのだ。それこそ、不可能に等しい。

「世の中みんなそうじゃない」
「違う考えの人だって居る」
こんなフォローは、無駄に等しい。

事実に基づく固定観念には、ほとんどの人間の性質が該当しているからだ。


負け戦に華を飾り、死を急ぐほど愚かではない。確かに急いではいるが、今日明日で終わってはならない。終わらせたいけど。

あと4年。
せめて、もうフォローのかけようもない段階で以て、盛大に、ひっそりと終えてやる。


そういえば、今日、人と会話、してないな
明日も、しない
明後日も、しない


これでいいのか
いや
これでなくてはならない



これで、いいんだ
ようやく2月が終わる。

折角の新たな門出なのに、全然順調にいかない。
新たなご縁もあったが、軌道に乗るまでは少し時間がかかる。

それがあればなんとか持ち直せる。
春先までの辛抱か?

犯罪者に負けた気がするのがとても癪でしょうがないのだが、まずは自分がもっともっと大きく名前を轟かせないことには、ヤツを踏みつぶせない。
犯罪者には死刑をくれてやらねばならぬ。


とかく、日本人は「迷惑」という言葉をネガティブな意味で使う。
確かに意味合いとしては良いものではない。
しかし、「迷惑をかけないように生きる」なんて、本当に出来ると思って言っているのであろうか。

迷惑をかけない生き方というのは、

極端な話

何もしない

これに尽きる。

生きることにも死ぬことにも、もっと言えば息をしている時点で、人、モノ、問わず何かしらのお世話や、日本人の大好きな言葉である「迷惑」をかけながら生きている。

つまり、迷惑をかけないというのは、実質無理なのだ。
生きることそのものが本末転倒になってしまうからである。
そんなことも知ってるのか知らないのか、平然と言い放ち、それを強要するのは、日本人だからなのか、常識が古くさいのか…

もう少し諸外国を見習うべきである。

「迷惑はかけるのが当たり前」という思考にとても賛成する。
だからこそ、相手に対して寛容になる気持ちが大事ということだ。
過度なモノはさておき、お互いに広い心を持つために、お互いのマイナスを受け入れましょうということだ。

自分はそう思うし、そうであってほしいのだが、いくらなんでも自分にはそれで受け入れるような人がいないから、実践できた試しがない。

今後もずっとそうだが、人類の生態系に迷惑をかけていることは、誰に受け止めて貰えば良いのであろうか。

このまま独りで生きることは、迷惑とかいう言葉で収まりきらない自己満足の集大成。


生きる価値は、感じない。
地球に迷惑だから、死んでといわれるなら、そのようにしよう。