迎合とパフォーマンスはやめて欲しい
こんにちは。
小林鷹之です。
今日は、JR津田沼駅前にて街頭演説をしてから上京。
外務委員会にて「障害者権利条約」の質疑・採決が行われ、全会一致で可決。
先日、地元障害者の方々が開催する「つばさ祭り」に参加した際にも、同条約や国内法整備について様々なお声をいただきました。
一つひとつ物事を前へ進めていけるように頑張ります。
さて、午前中は、同僚議員からの依頼で、厚生労働委員会に代理で出席してきました。
今国会の重要法案の一つである「社会保障改革プログラム法案」の審議で野党の方が質問されておりました。
他人の批判はしたくないのですが、たまたま目の当たりにした本日の質問内容はあまりにもひどい、迎合そのものだと感じました。
「消費税引き上げ分を実は公共事業に充てるんじゃないか。(自民党のように)あれもこれもするご時世ではない。」
「自民党が公共事業ばっかりやってきたから借金が1,000兆円になったんだ。財政的な児童虐待だ。もっと、福祉を充実させるべきだ。」
一見、耳あたりが良く、もっともらしく聞こえるかもしれませんが、はたしてそうなのでしょうか。
消費税の引き上げ分については、安倍総理が何度も断言している通り、年金、医療、介護そして子育ての社会保障にしか充当しません。
むしろ、高速道路の無料化のようにできもしないことを、また、普天間基地の最低でも県外発言のようにやるべきではないことまで、あれもこれもやるといって失敗した方々は誰だったのか、自分をよく見つめ直してもらいたいと思います。
私自身、財政に関係する仕事に10年以上携わってきました。
我が国の財政状況がどれだけ厳しいものなのかは認識しています。
また、一人の娘の父親として、世代間の公平を軽視してきた政治、これは昔の自民党も民主党も、そしてそうした政権を許してきた私たち国民の側にも大きな責任があると思います。
そうした中で、ファクト・ベースで申し上げれば、確かに、以前の自民党がしてきたことの中には、車の通らない道路や人の渡らない橋など、無駄の典型とされる公共事業、すなわちバラマキをしたことも否定できない事実としてあると思います。でも、公共事業すべてが悪というレッテル貼りも私は行き過ぎていると思います。
そして、かなりの昔は公共事業をファイナンスする建設国債で借金が増えてきたことは間違いないけれど、最近のトレンドは、むしろ高齢化が進む中で、急速に増大する社会保障関係費を、財政法上の特例措置とされる赤字国債で賄ってきた現実にも留意する必要があります。
だから、財政的な児童虐待を防ぐためには、カツカツにまで削られ、いまやたったの5兆円程度になってしまった公共事業を更に削ることよりも、むしろ、30兆円近くまで膨れ上がった社会保障関係費の伸びを、効率化や重点化によってどうやって抑制していくのかを真剣に考えなければならないと思います。
特に、年金、医療、介護については、私も地元を周っていると支援者の方々から、もっと充実して欲しいと言われます。
でも、受益の裏には負担がある。
だから、私は、今日の野党の方のように、「もっと社会保障を充実すべきだ!」と思い切って口にすることはできないでいます。
そう口にするのであれば、ご年配の方に対して、あるいは、現役世代や子供たちの世代に対して、あるいは、全員に対して、負担をお願いしなければ無責任です。
そうした中で、投票率の高さを気にしてかどうか知りませんが、負担増の話を意図的に避ける行為は、それこそ課題とツケの先送り、すなわち、財政的な児童虐待に他なりません。
公共事業のバラマキも社会保障のバラマキも許されない。
もっと言えば、全ての分野について無駄があってはならない。当たり前の話です。
「自民党=公共事業」
そして
「公共事業=悪」
よって、
「自民党=悪」
という単純なレッテル貼り。
それでせいせいするのかもしれないが、こんな低劣な議論を誰が求めているのだろうか。
私が代役を終えた後、その委員会では採決が行われ、一部野党議員の方が委員長につかみかかったと伺いました。真偽の程は知りませんが、パフォーマンスの政治には、誰もが辟易としているはずです。
真摯な政治活動を続けていきたいと思います。
自戒を込めて。
これから地元に戻ります。