「八丁通り沿いの横丁」は東京都武蔵野市中町(三鷹)にある横丁、飲み屋街です。

中央本線三鷹駅北口を出て北東方向、350メートルくらいのところにあります。

航空写真を見ると、ぽつんと横丁が残っているような感じです。

空中写真を見ると昭和23年には「八丁通り」沿いの長屋だけある?昭和32年には横丁は今と同じようにみえます。

 

少し、時代がずれているかもしれませんが、横丁から八丁通りを挟んだ向こう側には「八丁特飲街」があり、このあたりは通りの両側がちょっとした歓楽街のような感じだったのでしょうか?

 

横丁の話からは少しずれるかもしれませんが、

「武蔵野市百年史 記述編Ⅱ」によると、

「八丁特飲街」は昭和24年から25年あたりにできた街で、洲崎、新宿、八王子などで営業経験のあるものが一般の飲食店として手続きをし、昭和25年に保健所から許可を受けたそうです。その後すぐに地域の環境悪化を危惧した住民から特飲街撤去の請願が出され、市議会で議論(保守派は特飲街を存続させたい、革新派は特飲街を廃止撤去させたい)された結果、廃止をさせる方向で決まったものの、昭和32年の売春防止法の施行まで決着はつかなかったようです。議論の中で革新派からは「今は8軒だが将来は32軒にしようとしている、北区王子の特飲街の顔役が黒幕で都庁などが絡んでいる」などという指摘もあり、将来的には多摩部で最も大きな遊興街を造ろうとしていたのかもしれません(ということは保守派は黒幕と絡んでいたのか・・怖い)。

その後も、「吉祥寺特飲街」「御殿山地区での特飲店設置の動き」に対しても議論と監視をおこなったことで設置には至らなかったとのことです。武蔵野市の住民は風紀の乱れに対して厳しいのかもしれません。

 

空中写真を見ると「八丁特飲街」あたりは昭和23年航空写真では造成がおこなわれようとしている、昭和32年には8区画があり(建物は見様によっては各区画2軒ずつあるようにも見える)、昭和36年には北西角の建物が朽ちているようにみえます。

2023年12月に訪問しました。

 

「八丁通り沿いの横丁」付近の風景です。

写真には写っていませんが、通りの左側が「八丁特飲街」跡と思われるところです。

 

「八丁通り沿いの横丁」北側(八丁通り側)出入口です。通路は「丁字」になっています。

 

もう少し入ったところです。突き当りは二階建て長屋です。

 

 

東側の出入口です。奥は突き当りになっています。

 

もう少し進んだところです。今風のお店もあります。

 

さらに進んだところです。奥は突き当りです。

 

突き当りまで来ました。

 

振り返ります。

 

横丁沿いの建物は薄いです。横丁のある区画は東西50メートル、南北25メートルくらいです。

 

横丁のある区画が接する「八丁通り」向こうにある古そうな建物です。

壁や2階の手すりが特徴的で、ただ者ではない雰囲気がする建物です。

特飲街の事務所?検番?だったともいわれていますがどうなんでしょうね。

「八丁特飲街」とされる区画です。

 

その建物の裏です。右に向かう通路は手前公道との接続部の形状から私道のように思えます。

「八丁特飲街」の通路のひとつと思われます。

 

道路の左側が「八丁特飲街」跡とされる区画です。

「武蔵野市百年史 記述編Ⅱ」によると、八丁特飲街の建物は平屋であったと書かれているので、道路左側の2階建ての建物は後年建設されたものでしょう。

 

場所変わって、三鷹駅北口すぐのところです。ここにも小さな横丁のようなものがあります。

右側の建物はお楽しみの店だったそうです。

 

上の画像、右側の建物、路地側にはタイル装飾の柱(玄関の枠?)のようなものもあります。
その奥、赤いテントのようにみえますが、モルタルでできています。

 

お楽しみのお店紛いのようなものもあります。

 

八丁通り沿いの横丁

Haccho-dori street, Musashino city, Tokyo.