山梨県富士河口湖町はその名の通り、「河口湖」という湖周辺に町の中心があります。

 

富士急行に乗っても、自家用車で来ても、大月から都留、吉田を経て、河口湖に到着するわけですが、まあ、なんというか、地形的にも行き止まりな感じがするところです。

北の方(大月の方)からやってくると、正面には富士山があり行き止まり、右へ行くと樹海で行き止まり、左へ行くと自衛隊の練習場・・何とか過ぎると山中湖・・で、その先は急峻な地形・・みたいな感じのところです。標高は河口湖駅で850メートルくらいはあります。

 

河口湖がレジャー地として開発され出したのは明治期だったかな(山中湖だったかもしれない)?

にしても、昭和の初めころは、この辺に住民は住んでいたことは住んでいたのでしょうが、土壌の関係で(溶岩土壌のため、水が浸透してしまうため)コメ作りもできず、寒村であったことは容易に想像できるわけで、本格的に開発され始めたのは第二次世界大戦後、道路の整備が進み、また昭和25年に吉田から河口湖に富士急行路線が延伸してからではないでしょうか?

 

昭和5年発行の「全国遊廓案内」には河口湖のことは掲載されていません。昭和30年発行の「全国女性街ガイド(復刻版:平成26年発行)」には河口湖の記述があります。「・・・最近やっと、七軒に二十五名の現地徴収が成功した。時間三百円、泊り二千円。・・」とあります。ということはその頃にはお遊びの店があったということなのでしょう。

また、昭和40年11月5日発行の「富士五湖周辺戸別明細図」の河口湖あたりの図を見ると、「料理と芸妓」を扱う店が3軒ほど掲載されていました(「芸妓と御料理 一平」「芸妓と御料理 一富士」「料理芸妓 一力」)。他にヌードスタジオ1軒、割烹旅館1軒があります。

 

2022年4月に訪問しました。

 

「畳浦公衆トイレ」と「八王子神社」の少し西から西を向いたところです。右側が湖で「富士レークホテル」が湖畔に建っています。

 

上の画像の先すぐに左に上がる道があります。角にはスナック喫茶「クロ」と書かれていますがやっていません。

 

上の画像右の坂道を上ります。

 

一富士荘、民宿です。

 

「和洋民宿 山尚」です。

他に住居として使用されていそうな民宿的な建物が1軒あります。

一富士荘は上に書いた「御料理と芸妓 一富士」の名残でしょうか?

 

他の2軒、「一平」は「富士博物館(休館中)」の湖側並びに、「一力」は「スーパーマーケット高田屋」の向かいあたりから入る、「天上山公園護国神社登り口」の少し東あたりにあったのではないかと思っています。

 

その他に、「娯楽の殿堂ヌードスタジオ」が八王子神社鳥居横にあると、上に載せた住宅地図に書かれています。この建物がそうだったのか?それとももう一つ奥に別の建物があったかどうかは定かではありません。

現在はこの建物、改装されて、コインランドリーとカフェになっています。あと写真の場所から少し南の並びに、「船津映画劇場」も存在していたようです。

今は河口湖には歓楽街的な所はありませんが、少し前には芸妓と楽しめる場所もあったのですね。

 

富士河口湖町船津

Funatsu, Fuji-Kawaguchiko town, Yamanashi.