JR三江線は2018年3月末日に廃止されました。
廃止直前の石見川本駅前は連日賑わっていたようですが、その後の様子はどうかな?と思い、少し見学に行ってきました。
「石見川本」なかなか行く機会がなく、今回初めて訪問しました。地図で見ると、江の川沿いの狭い場所にかなりな密度で街が形成されているようで、ずっと気になっていました。
「旧三江線 石見川本」駅前には公営住宅のような3階建ての建物が並んでいて、少し不思議な感じがします。また、住宅の1階部分が店舗になっているところもあります。駅前のビルでは「ビアガーデン」なんかもあったようです。
駅を出て左にしばらく行った所の公園の碑によると、昭和47年に発生した水害の後、昭和50年から53年にかけて「他に例のない手法による住宅地区改良事業、都市計画街路事業、都市下水道事業の合併施行による街づくり事業が県営事業により施行され、ここに近代的な市街地が完成したものである」と書かれています。
街の半分、江の川側の街並みはとても近代的な感じです。当時は画期的な風景だったのでしょう。
山の中にぽつんと存在する近代的な街並み、とても魅力的な風景です。
川に向かう路地には、料理店の跡地のようなものがみられました。江津よりも当時はこちらの方が主要な都市であったようにも思えます。
駅近くの菓子店のおばあさんの話によると「昔は相当に賑わっていて、三江線開通前は江の川の船を使って物を運び、この街が中継地になっていた。宿場になっており芸者もいた。役所や電話局、税務署なんかもあり、公務員がたくさんいて賑わっており、三江線開通後も何両もの汽車が着き、通勤通学の時はごった返していた」また、水害のときは「2階まで水に浸かり、2階の窓から船で小学校まで避難した。水害の後には一気に過疎化が進んだ」とおっしゃっていました。
少し先の、商工会館の壁には昭和47年水害の時の水の跡が残っています。