最近は

文明と文化を区別しない

人もいる。

 

しかし、

これからは、

しっかりと

区別して使っていきたい。

 

この2つは

お互いに対峙している。

 

なぜなら

文明の目的は同一性の追求であり

文化の目的は差別性の追求だからだ。

 

すなわち

同じことを善いことと考えるのか

違うことを善いことと考えるのか

の違いである。

 

普通であることと

個性的であることの

違いだ。

 

このように

対極的な位置付けにある

お互いの概念だが、

現代社会にとっては

両方とも必要な概念である。

 

どちらかの概念が

必ず優越するのではなく、

もちろん

劣後するわけでもない。

 

その対極性から

同一性と差別性は

同時に追求することは

難しい。

 

そこで、

適用領域を区別する

必要がある。

 

いわゆる

住み分けを考えるのだ。

 

みんな同じで善いことと

みんな違って善いこととを

見分ける賢さを

必要としているのだ。

 

文明とは

簡単に言えば

テクノロジーの分野だ。

理系の分野だ。

 

この分野では

標準化を追求していくことが

善いことなのだ。

 

文化とは

簡単に言えば

人間関係の分野だ。

文系の分野だ。

 

この分野では

お互いに違うこと、

我々は、ひとりひとり

違う個性を持つということを

認識し、そのことを

追求していくことが

善いことなのだ。

 

以上の議論をもとで、

 

文明の発展に関して、

原則的には

我々のひとりひとりは

選択権を持たない。

というより

選択の余地がない。

 

一方、

文化の精緻化に関して、

原則的には

我々のひとりひとりに

選択権はある。

 

ここで、

文化とは

本質的に遊びであり

遊びであるからには

特定の場所と時間において

ルールに基づいて遊ばれること

と理解するといい。

 

端的に言えば、

文化とは

約束の世界なのだ。

 

したがって、

その約束する権能が

一人の者に委ねられていれば

独裁であり

国民のみんなに与えられていれば

直接民主主義になる。

 

たとえば

文明の発展に寄与するように

文化を従わせるなら、

独裁が望ましい。

 

一方、

文化の精緻化に寄与するように

文明を従わせるなら

おそらく、文明は発展しないだろう。

 

文明的な発展にとって

民主主義は強力なブレーキに

なってしまうことがある。

 

日本の経済社会状況をみていれば

このことは、容易に観察できる

ことだろう。

 

我々はもう少し

賢くならなければならないようですね。

 

ではまた。