母がマカロニサラダを作った。
腰を九十度に曲げ、
スキージャンプ台を滑走し始めた名選手、葛西のようだ。
前向いても視界には床と足元で、振り返ることが、できない。口を開けば昔話ばかりだ。
壁や柱のわずかな突起を指で探り、何とか捕まって階段の上り下りをしている。7年、難病介護で毎日、入院先に通った。そして未亡人となり23年になる。友は少なく、ハガキのやり取りで消息を通じ合ってきた。





玉ねぎやキュウリの切り方が粗く、逆に歯応えを楽しめる。ニンジンはボイルしてあり柔らかい。マカロニと一緒に、煮たんだろう。

毎日どうしてる?と聴くとあまりに気丈だ。「パパが遺してくれたこの空間に座って過ごしていて飽きないのよ。民藝喫茶にいるようで、ゆっくり新聞読んだり、テレビ見たり。1日は、あっという間。」

随分と苦労をかけてしまったことを後悔している。しかしここ15年程は私の仕事については何にも言わなくなった。学生であれば「起きなさい」「今日は学校行きなさい」「勉強しなさい」と口うるさかったが、「働き過ぎは身体に障る」と言う様になった。

生業を得て働いて、月4回の金曜日、土曜日のダンス、日曜日のZUMBAだけを楽しみに、生きている。ジムのマダムたちからも言われる。

「良く回数少なくてお上手なのね」

こう返している。

「恋愛なら経験や回数がモノを言うけど、ダンスは渇望感と情欲で感情表現できるから」

ダンスの先生は勿論お仕事だから、回数多く通う信者ほど尊ぶが、私のような感情移入型の回数少な目なメンバーにも目をかけてくださる。


回数ではない。
魂が宿っていれば、何事も、上手く行くのである。

母に味はどうだ、と聴かれた。


「最近、腕を上げたんじゃ?オヤジが驚くと思うよ」


額縁の中で父がわずか動いたのが、可笑しい。