働くお母さんは今も昔も居るという話 | kobacabana 3.0

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音楽、食、酒、街、男と女・・・・
日々に感じる雑感を
懸命にまとめています。

生まれたのは下野毛という小さな工場町で、精神病院や独身寮が多く、昼休みのサイレンが鳴ると、クノールやプラッシーの女工が群れとなってチャリで敷地から出てきて、静寂が戻るが、また50分くらいするとまた群れとなって工場に戻って来る。年少から幼稚園に上がらなかった私は、同じ年の遊び相手が居なくなり、そんな女工たちの群れを見てひとり楽しんだものだった。



モスグリーンの制服にほっかぶりした女工たちは、皆、健康そうで不思議と笑顔だった。富裕層は戦略的交配の末、専業主婦で茶道や華道などで暇潰し出来るだろうが、私の生まれた町は、女も良く働く土壌にあった。ダイバーシティというのは偽善に満ち、昔から男と対等に働いていた女たちもたくさん居たのだ。



例えば、群馬県。前職の会社が巨大なデーターセンターを建てた関係で、今でも年に数回はお邪魔する機会があるが、この地の御婦人たちはほぼ皆、フルタイムで働いている。

子供たちはチャリで学校に通う。暗くなるまで部活で、町役場のお父さんより帰宅が遅い。

スポーツクラブとかダンスレッスンなどで、毎日毎日上手くもならないのに、貴重な人生の時間を掛けることはしない。

庭で育てたトウモロコシを茹でて食べるのである。糠漬けの手入れも怠らない。FoodShow何ていう嘘っぽいデカパイ地下で買物しすれ違うご近所の、所得ぶりを詮索などしないのだ。


昔から昼間にやりくりしてジムに行くと、だいたい見るからに意地の悪そうな顔したマダムほど、「あら、さぼり?」と言ったものだ。「ボーナスは出ました?」何ていう卑しいのもたまに居た。

殿方に、さぼり?ボーナス?何て声かける低俗なマダムほど、夫を悪く言い、ごくたまにマウントのネタを混ぜ回りとワイワイやっている低俗層だった。


新しいジムに早々に移籍したわけだが、素敵な成熟したマダムほど、移籍していない。きっと「あんな格安中小企業系なんかプライドが許せない」
「無免許指導員(実際は大違いで素晴らしい指導者ばかり)が教えてる初級者向け暇潰し空間」
と言ってるらしい。

それが、悲しい。

人生は周りが価値を決めるのでなく、自分の活躍なり頑張りで価値が高まるし、下がるものである。

つまり、旦那でもジムのネームバリューでもなく、

あんた次第だよ


と、このブログは二十年間全く変わらず、マダムたちへの応援歌を綴ってきているのである。




義兄が還暦で定年後、嘱託の任期を終えた、と巨乳だげが自慢の毎日テニス三昧の姉から、LINEはブロックしていたので、突然昔のEメールに届き、

慰労を込めて義兄に酒を送った日の画像。