プロジェクトX 「玉川学園前駅」 | kobacabana 3.0

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音楽、食、酒、街、男と女・・・・
日々に感じる雑感を
懸命にまとめています。

 
高校時代から社会人になって利用していた小田急線。
 
駅舎はとても素朴でこの街の謙虚さ、腰の低さ、を象徴している。
謙虚だが、教養高き人種がバダイより多く住んでいる町だ。
 
急行は止まらない。上り、隣駅の鶴川で、
準急、急行が先に行かせてからの、発車。
 
都内には時間が掛かる昭和だった。
最近は改善したと聴く。
 

 
踏切があるので、急いでいるひとには向かない。
駅周辺に、新宿寄りから第一、第二、第三踏切が三つある。
 
 
 

 
 
小学校の時に母に勧められてこの文化センター(青葉区の地区センター)で
読書会に参加した。
指導者は誰かのお母さんだったと記憶。
今はジム、ダンス、ティラピス、ヨガなど
健康志向が極めて高いマダム山盛りのバダイに住むが、
 
この玉川学園にはそんな習い事よりも、
教養高いマダムたちが多く住んでいる。
 

 
都立高校時代、このベンチに7:45頃辿り着いたが、
不良高校生がたむろしており、私は誘惑に弱いので登校を断念、
階段降りてすぐに高校生でもタバコOKという喫茶店、
童夢(ドーム)に入り浸った。
 
どんどん成績は下がっていった。
 
 

 
 
ここは、大昔、サンリオ商品他が並ぶファンシーショップで、
女子たちが多く群がっていた。
 
小学校の低学年の頃、スヌーピーの漫画にハマり、
自分で描いたスヌーピーの絵を持ち込み店長に褒められて、
半年間店内に掲示してくれた。
 
次第に話題になり女子たちから、勉強とスポーツもできるが、
絵を描くのも巧い、と認められた。
 

 
 
しかし高校に入ると、このビルの地下にあるゲームセンターに入り浸るようになり、
下り階段のように、成績が下がっていった。
 
 
 

 
 
この店には風月堂があった。
成城学園の流れを汲んだ玉川学園。お呼ばれの時には
ここでお菓子を買って土産とした。
 
が、撤退してしまい、眼鏡屋になった。
 
 
 
 

 
 
大学時代、たまに寄り道したスナック。
が、当時の学生にとっては高い店だった。
私は私塾を自宅で営んでいたので、収入は良かった。
偏差値が50にも満たない自分だったが、
くだらない受験勉強の辛さは誰よりも知っていた。
だからこそ、出来損ないの低空飛行の子供たちが集まって来た。
どの親も、私に、こう言った。
 
 
「せんせい、どこでもいいので、高校にだけは行かせて」
 
私は「おまかせください。かならず、どっかには突っ込みますから」と受け入れた。
 
週二日、二部制、計3時間×2日×4週で、6名。
 
月に、15万円を稼いだ。全部、遊んで使い果たした。
 
時間で稼ぐ仕事はしたくない、と言うポリシーがこの収入を生んだ。
そして商社等の利権とピンハネのような恥ずかしい生業でなく、
世に残すモノ、がある企業を目指した。
 
それがテレビ局だった。
 
が、全部落ちた。
 
 

 
 
かつてはジローというパン屋+カフェであった。
玉川学園の学生は都内から通うので、放課後は皆、都内に帰っていくので
この店で遭遇したことが無い。
店内はいつも静かだが、繁盛していた。
玉川学園のマダムたちは教養が高く、そして静かだった。
バダイの棄て婆や、PAUL等の前を通ると、
ヘビメタみたいに耳をつんざく程の笑い声、「ヤッダァ」
の発声練習で辟易する。
 
 
 
 

 
 
玉川学園には肉屋がある。
魚屋は二軒あったが、大昔に閉業している。
 
ちなみにバダイには魚屋さんがある。
ケチで小金持ちのマダムたちは絶対に意地でも行かない。
東急の地下や成城石井で買い物しているところを
マスクをわざわざ外して、
知人に観られたいがために通っていると見られている。
 
スーパー富士、藤が丘のTENGA、MEGAドンキには、
マスクをして行くひとも、居る。聴くと、
 
「孫が大挙して泊まりに来るので」と、格安肉を買っていく。
 
 
 

 
 
この町で大人気の喫茶店。
亡くなった森村誠一氏もここで晩年寛いでいた。
母も良くここに通っており、先生に声を掛けた。
 
「先生の作品、長年楽しませて頂いてます」と、母。
「お、それは光栄ですな。で、どの作品がお気に入りでしたかな」と、森村氏。
母「えぇぇぇぇぇ、っと。その、ほれ、なんでしたか、
 
スローな秘技にしてくれ、でしたね。オホホホ」
 
「それは、片岡義男さんじゃないのかな」
 
 
 

 
 
変わったコンセプトの店。
朝食とランチだけの営業。バダイにもあれば、いいなぁ。
あ、でもガストがあるから、充分だ。
 
 

 
 

さすがに教養高きマダムの街であっても、ミーハーは居る。
イタリアンが増えてきた。ちょっと雲行き怪しい、アオバダイ現象。
 
 
 

 
もう老舗になるフレンチ。母の誕生日に二度、来た。
 
 

 
この居酒屋は、なかなか使い出がある。料理も美味しいし、深夜までやっているので
実家に泊まる時は、また深夜食堂として利用しようと思う。
 
 
 
 
蕎麦屋の増田屋、閉店。誰か、お蕎麦屋さんやりたい方、居たら、
是非ご検討を。
 
 
 
スペイン料理屋もある。同窓の元女性ふたりと一度来た事が。
 
 
 
最近できた居酒屋さん。何となく素人っぽいけど、いつかご縁があれば。
 
 
 
 
母が利用する美容院。先生も歳を取った。私も大学時代にお世話になっていた。
今は、980円のIWASAKIで切っている。
お洒落なんか無縁だし、大した顔でもないので、この値段で、事足りる。
 
 
 
イタリアン。母の誕生日会で二度お邪魔した。
姉の家族がワインをポンポン開けるので、凄いお代になってしまった。
 
弟って、そん(損)な役回りだと思う。
 
 
 
 
 
 
昔、コティという喫茶店で、高校生喫煙OKの迷店だったが、
今はカレー専門店に。訪問が楽しみ。
 
 
 
 
 
ワインの立ち飲み?屋さん。地元のひとで賑わっているとの
ことで、現在は地元人ではないが、いずれ、お邪魔したい。
私にワインと美容院は似合わないが、いずれ。
 
 
 
 
 
いつも賑わっている。
中華食堂と受け止めるが、母を連れていけるか、
事前取材が必要だ。
 
 
 
 
 
 
 
どの町にも戸建がある。
玉川学園は建売物件が少なく、青葉台とは雰囲気が違い個性的。
家々が全くコンセプトが違い、それを包む雰囲気が、この町の全体的な匂いとなる。
 
 
 
 
 
 
紫陽花全盛の2024年6月のある日。
坂が険しく、今では電動アシスト自転車がどの家庭にも
用意されている超楽な時代。
 
 
 
 
 
 
 
 
青葉台にもたまに見かける車庫が豪華な家。
押し出し(ファースト・インプレッション)がキマっていて、
実家に帰る際には、必ず通って眺めさせて頂いている。
 
 
家々が個性的で、閑静な住宅。
幼い頃、父はこの町を、
 
「多摩地区の軽井沢」
 
と言って転居の説明をした。
ロマンスカーのジングルが遠く聴こえ、
夏の夕立ちで小川ができるような丘陵地だった。
 
この町で育ったことで、奥地の美しさを覚えた。
振り返れば誰も居ない最下位の高校時代も経験した。
入社してバカでもモノが売れる時代に突入し、
その事務作業で徹夜や深夜残業の日々も経験した。
 
悪友たち含め各界に皆身を投じ、
年末30日には40年、集う会「町田の子(教育委員会の詩集のタイトル)」
が今でも続いている。
 
言ってみれば、私のふるさと、である。
今ではこの地域に住む決心をした父に感謝している。
そしてジリ貧の私の高校生活を嘆き苦しんだ母に、
感謝の念しかない。
 
電動アシストで実業界を登っていく連中を横目に、
ラフに打ち込み、茨の道を這って生きてきた自分に、
最近は惚れ惚れするほど、好感を持ち始めているのである。