こんにちは。彦根のサザエさん
行政書士 こばやしみはる です。
いつもありがとうございます今日も愉快に参りましょう
「平等」とは。
憲法14条を学んでいた時、
ちょうど、「平等」について、
深く考えさせられることが、
息子と学校の間で起きていて。

ちなみに、憲法14条って、これ
『すべて国民は、
法の下に平等であって、
人種、信条、性別、
社会的身分又は門地により、
政治的、経済的又は
社会的関係において、
差別されない。』
いいこと言うね!憲法!(どこから目線っ!)
というわけで。
この「平等」っていうのが、
『形式的平等』なのか『実質的平等』なのか。
っていうのがあって。
『形式的平等』は、
機会の平等って意味合いがあってー。
たとえば、めっちゃ金持ちもそうじゃない人も、
全員一律に10万円納税して~~~。
ってことで。
年収が1億の人からしたら、10万って、
たいしたことないかもだけど、
年収が100万の人からしたら
10万は死活問題だよね。
一方で、『実質的平等』は、
個々人の違いを前提として、
その違いを加味した平等ね~ってことで。
年収が1億の人は3000万円払ってね。
年収が100万の人は5000円払ってね。
って感じで。1億グループの人は全員3000万円だし。
年収100万円グループの人は全員5000円だし。
そのグループの中では、平等だよ。ってことで。
これ、学校教育に置き換えると・・・
例えば、運動会の50m走で・・・
『形式的平等』は、みんな同時に「よーいドン!」
『実質的平等』は、事前にタイムを計って、
8秒台グループ・9秒台グループ・10秒台グループって分けて「よーいドン!」
ってイメージです。
そんでね。
数年前、
息子が学校で困ったことを起こしまくっていたとき。
まだ、支援級に在籍する前で。
普通級にいて。
「発達障がい」ということは診断されていて。
専門の医師から「息子君に必要だ」と
言われていた支援を学校にお願いしたのですが、
「息子君にとって、〇〇な対応をした方がいいのは分かっているんですけど、他の子と平等にならないので。」
と、断られたことがありました。
※あ、これ、先生批判じゃないですよ。その後、色々とご尽力くださり、息子に必要な支援がいきわたるように、学校の体制を変えてくださった恩人です
現在、支援級は在籍していて、「合理的配慮」のもと、個別具体的に手厚い支援をしてくださってます。
この例を見ると、
「支援級というグループにいるので、その中で、手厚い支援を受けられる」という『実質的平等』の意味は果たしているのかもしれない。
ただね。
私は、この『実質的平等』を、
「支援級」というくくりなしに、
全児童にあってほしいなと思うんです。
「みんな一緒」じゃなくて。
「画一的な教育」じゃなくて。
それぞれの子にあった対処をすることが、
「全員が安心して学べる
居場所・環境」
という「平等」であってほしいと思うんです。
これには、先生方や教育委員会の意識。
はたまた文部科学省の方針・・・ってことなのかもしれないけど。
この「全員が安心して学べる居場所・環境」
という意味での「平等」を
邪魔してしまうことの一つに、
保護者の感情というのが大きいと思うんです。
今、うちの息子は、支援級に在籍しているから、
「あぁ、支援級の子だし、仕方ないね。」
と思ってくれているかもしれない。
同じような支援を、
通常級(普通級)で受けていたら、
「なんで、〇〇君だけ、特別対応なの!?」
と批判を受けるかもしれない。
合理的でない差別やひいきは、
あってほしくないと思う。
それは、一保護者として、私もそう思う。
だた、合理的な区別・合理的な対応に関しては、
「平等じゃない!」「公平じゃない!」
と目くじらを立てずに、
見守る姿勢の保護者でありたいと思う。
保護者が、そういう想いでいれば、
先生方は、きっと、
『実質的平等』な教育をやりやすくなると思うし。
保護者がそういう感覚でいれば、
こどもたちも
「〇〇くん(ちゃん)だけ、ずる~~~~~い!」
って、発想にはならないんじゃないかな?
って思う。
みんなちがって、
みんないい。
これを、本当に実現するには、
その辺が、大事かな?と思ったのであります。
長く&熱くなってしまいましたが、読んでいただき、ありがとうございました