さらに何か手を加えるのか?と悩んだ挙句何もしないことにしたサロンエクスプレス東京。


まずは消された車番によって分からなくなった並び順をハッキリさせます。


参考にしたのはWikipediaとこちら。

古いアルバムならぬ古いカタログには今では得られない知見がたくさん詰まってます。


で、こちらのページを見てみると、まずは答えが三つ導き出されます。


スロフ14は手前が702・奥が701となります。

702の方はパノラマ席とバーカウンターが設置されており、惻窓の一部が塞がれているのが特徴です。


で、次に見つかるのがオロ14-705。

オロ14は全て個室グリーン車なのですが、705号車だけは向きが逆になるそうで。


コレは、スロフ14-702号車の近くにトイレと洗面台を配置するための工夫なんだそうです。


こうなると、残りのオロ14なんですけどね。

2・4号車がグリーン系統、3・5号車がえんじ色系統の絨毯が敷き詰められていたそうなので、上の画像のようになりました。


で、牽引機なんですけどね。


ありきたりの61号機でも良かったのですが、せっかくならば変わったところを攻めたいやないですか。


っつーことでこちらを召喚。


KATO 3095

“EF55 高崎運転所”

言われてみれば、ムーミンが目覚めたのも民営化の直前でしたから、この組み合わせもエエ感じになるはずです。


早速連結しましてね。


紫合中央に入線ののちら…


「出発。」


専門誌で何度も見た憧れの光景です。


当時の人気者同士。


まさか国鉄がこんなに洒落た列車を用意するなんて想像出来ませんでしたし、もはや産業遺産とも呼べる立ち位置にあったEF55を復活させるなんて夢にも思いませんでした。


同じ頃、関西では大サロが生まれ、マイテ49-2が交通科学館から引き摺り出されて本線を疾走するようになり…


本物のオリエントエクスプレスが、大陸を横断したのちに海を渡って日本中の鉄路をひた走るなんて云う豪快で痛快な時代でした。


そんなオリエント急行の影響を大いに受けた豪華寝台特急も生まれるんですが、既存の車両の改造と云うノウハウの点では、サロ東とか大サロの存在も無視出来ないものだったと思うんですよね。

昔は良かったなんて言う気はないのですが、やっぱりこの民営化前後の時代は面白いですね。


Swallowtail