例年そこまで大きく意識することも無く、ただひたすら自分の心の中で祈りを捧げるのみなのですが、何故か今年は終戦の日が気になり記事にすることにしました。
戦争がらみで鉄オタ的に気になるとすれば傷病兵を運んだとされる“スヘ”あるいは“スヘセ”と呼ばれた客車群なんですが未だにちゃんと調べてはおりません。
(※画像はイメージです)
その気になって忘れての繰り返しですので、もしかすると“触れるな”と云うことなのかも知れませんし、記録もそんなに無かろうと思います。
一応Wikipediaにはあるんですけどね。
太平洋戦争が終わってから77年が経過していますし、自分自身が戦後約30年経ってから生まれてますので当然戦時下の記憶などあろうはずがございません。
何よりも、戦前生まれの両親が既に鬼籍に入ってしまっておりますので、今更当時のことを尋ねることも叶いません。
父親は大阪大空襲を経験しているはずなのですが、積極的に語ることもございませんでした。
以前にも話したでしょうか、母親は5歳の時に長崎で被爆しました。
一応その時の話をしてくれた事はありますが、どちらかと言えば被爆者手帳を見せると医療費が無料やったなぁ…と云う印象の方が強いです。
目を三角にして“戦争の記憶を風化させてはならない‼︎”なんて声高に主張するつもりはございません。
知らないで済むならそれでエエと思って居たりもします。
人類の歴史は争いや諍いの繰り返しですし、現に今でも戦火の消えない地域ってのは存在しております。
ただ、“こう云うことがあった”と云う記録や遺構は残す努力をすべきだと思います。
さて、“戦争”そのものに対する私見なんですが、当事者国同士の正義が一致するはずが無いと言うことと、負けると厄介と云う二点に尽きると思います。
どっちが勝とうがどう転ぼうが、あんまり碌なことにはならんよと。
最後になりますが、第二次世界大戦の戦没者の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。