さてさてシリーズ5回目の本日ご紹介するのは、荷物車群が個性的なこちらの一本。
KATO 10-1449&1450
“10系寝台急行「だいせん」」
入線は2017年の12月28日。
実はコレも機関車ありきの入線でして、同じタイミングで発売されたDD54の初期形&中期形のお供として導入した経緯がございます。
その割に、説明書の牽引機はDD51なんですがwww
何よりまずはワサフ8000です。
どう見ても機関車の次位に置かれる見た目なんですが、そうでもないのがだいせんの面白いところ。
そのワサフの次に繋がれるのがマニ35です。
旧客の荷物車は改造車が多いので、ルーツを辿り始めるとキリがございません。
このマニ35は“スハニ32から改造車のうち昭和42年の設計変更前の51〜67がプロトタイプ”だそうです。
客車ゾーンに移りまして、オロネ10とスロ54。
オハネ12が2両連なります。
ここら先はナハ10とナハフ11の座席車ゾーンです。
この屋根を見て察して下さい…。
ちなみに本日は連結しないマニ61。
煙突付きのマニ60-200から台車をTR23に変更された車両とのこと。
大阪行きの上り列車に仕立てるときは、最後尾にこのマニ61を連結します。
で、本日の牽引機はやっぱりこちら。
KATO 7010-2
“DD54 中期形”
DD51を引っ張り出してやろうかと思ったんですけどねー。
そんなこんなで紫合中央に入線しまして…
「出発。」
この角度で眺めると、ご紹介し忘れていたスユニ60もはっきり見えますね♪
いつものところ。
14連のウチ3両が荷物車というのも鉄道小荷物が重要なインフラとして機能していた証なんでしょう。
正直なところ、個人的には全く馴染みのない列車ではあるのですが、巡り巡って流れ流れて、だいせんが走った福知山線のそばで仕事をしていることに不思議な縁を感じております。
いや、どやろ?www
〜寝台急行「だいせん」ひとくちメモ〜
昭和43年に大阪〜出雲・大社間を福知山線経由で結ぶ急行列車を統合して“だいせん”の名が与えられた。
この夜行急行“だいせん”の牽引機として、前身の“おき”の時代より引き続きDD54が担当し、昭和47年までは普通列車扱いであった出雲〜大社間をC11が牽引していた。(昭和50年よりDD54からDD51に変更)
昭和53年には20系客車へ、昭和61年には14系寝台車+12系座席車へと変更を受けつつ国鉄分割民営化も乗り越えたものの平成16年に“だいせん”の名称は消滅した。
(※KATO公式ホームページ及び製品説明書を参照の上再編集)