今回は、ウチでは初めて入線させた10系の列車です。


KATO 

10-1301

“10系寝台急行「安芸」10両セット”

10-1302

“10系寝台急行「安芸」〈1967〉7両セット”

10両セットの方は、分かりやすく10系の車両が10両入ってましてね。

ストレートに組成すればC62が牽引していたいわゆる馴染み深い“安芸”が登場します。


そして1967の方なんですが、こちらはちょっとした問題児です。

スハネ16×2とオハネフ12の3両が10両セットの増結編成にあたりまして、この3両を足すと東京から糸崎までの13連を再現できます。

これだけなら増結3両セットでええやんとなるんですが、問題は残りの4両でして、カニ38を機関車の次位に連結し、オロネ10(緑帯付き)×2を入れ替えてオシ17をマシ38に交代させて、残りの車両をコチョコチョしたら1967年頃の編成が再現できると云う代物です。

正直なところ、10両セットと増結用の3両さえあれば構わない構成なんですが、個性派客車のマシ38やカニ38が揃う1967セットは架空編成を作り上げるのに大変重宝します。


さてさて牽引機なんですけどね。


初心に帰ってこちらを召喚します。


KATO 2026-1

“C59 戦後形(呉線)”

そもそもC59が欲しかったんですが、牽引する列車も欲しかろうと、気がつけば安芸まで巻き添えになっていたワケです。

C59が連結されたら…


「出発」

当時の呉線で優等列車を牽引する蒸気機関車としてはC62も有名でしたが、軸重低減措置を受けたタイプの空転が酷く、乗務員さんの間では安定した性能を発揮するC59の方が人気だったそうです。

それでも私はC62が大好きなんですけどね〜。

ただ、C59はC57から受け継がれるスラリとした長いボイラーにより醸し出される優美さが格別でして、それはそれでエエよね♪となります。

これも再販されたらエエんですが、なかなか出ませんね。

そんなこんなで終着です。


〜寝台急行「安芸」ひとくちメモ〜

昭和25年、呉線経由で東京と広島を結ぶ夜行急行に「安芸」と云う名称が与えられたのが始まり。


当初は座席車のみで構成されていたものの、昭和31年に3等寝台車(のちのB寝台車)が連結されたのを皮切りに昭和34年までに2等寝台車(のちのA寝台車)と食堂車も連結され、昭和40年には荷物車・食堂車以外は全て寝台車で構成される様になった。


昭和30年代後半になると、C59やC62といった大型蒸気機関車により牽引される急行列車として人気を集めたが、昭和45年9月、呉線の電化により蒸気機関車の運転が終了するのと時を同じくして客車急行「安芸」もまた姿を消した。

(製品説明書参照の上再編集)



Swallowtail