とうとう始めちゃったこのシリーズ。
リアルタイムで知りもしないのに、いにしえの客車急行に思いを馳せると云ういささか酔狂なネタにお付き合いいただく恰好となります。
KATO 10-879&880
“10系寝台急行「津軽」”
入線したのは2018年の7月1日。
まず基本的に押さえておかなければならない事柄なんですが、個人的に急行の場合はまず“機関車ありき”で導入する列車を決めます。
この“津軽”に関してはこのロコのパートナーとして迎え入れた経緯がございます。
KATO 3069
“EF57”
誕生日におねだりしたら買ってもらえたロコです。
小ちゃい子供かっつーの(笑)
実はこの57、説明書によると2014年製となっておりますので、買った時点で2年ほどお店で寝ていた個体なんですが、今でも余裕で“ホイ”っと走り出してくれるのはさすがです。
さてさて編成なんですが、長距離を走る列車らしくまずは荷物車がデーンと2両も連結されています。
青いマニ37が目を惹きますね。
そしてこの時代の急行列車と言えば緑の帯の“ロ”が付いた客車。
この津軽ではスロフ62が連結されております。
で、庶民の憧れとされたA寝台・オロネ10。
そしてスハネ16が2両連結されまして…
あとはね。オハ46&47に殿はオハフ33と、旧型客車が5両も連なります。
航空機での移動がまだそんなにカジュアルではなかった時代、長距離イコール鉄道だったんだそうで、都会へ出る身近な手段は夜行の急行で東京や大阪を目指したんだとか。
金の卵が大挙して上京してくる時代ですよね。
今回試しに撮ってみたカット。
明日への希望か破れた夢か、それともただのビジネスか。
色んな人の人生を乗せて走り去ってゆく急行・津軽。
私にはもう故郷と呼ぶべき土地は残っておりません。
でも、記憶の中の古里を想起させるには充分なエモさを孕んだ客車急行群。
最後まで完走出来るんやろか…。
〈急行「津軽」ひとくちメモ〉
急行「津軽」は昭和29年(1954年)10月に上野〜青森間を上越線・羽越本線経由で結ぶ臨時の夜行急行列車として誕生し、昭和31年(1956年)11月に東北本線・奥羽本線経由に変更の上定期列車となった。
現代の様に航空機による移動が一般的ではなかった1950年代から1960年代にかけて、奥羽本線沿線(山形県・秋田県・青森県西部の地域)出身者にとっては、長らく東京方面と地元を結ぶ唯一の優等列車が「津軽」であった。
平成5年12月に再び臨時列車となり、平成9年1月に廃止された。
(KATO製品説明書より再編集)
