ホントはよく分かっていないブルートレイン。
2月予定にズレちゃいましたが、もうすぐKATOから24系25形“ゆうづる”のセットが再販されます。
で、このセットで日本海も組めるそうなんで、少しだけ勉強してみましょう。
今日もこの本を頼りに調べてみます。
学研
「よみがえるブルートレイン」
青森から大阪までを“日本海”に揺られて帰ってきました。
朝起きると、お日さんが昇り始めた敦賀湾の景色が広がったのを今でも覚えております。
(多分敦賀湾やと思うwww)
恐らくハネの2段ベットで眠ったのはほんの6時間ぐらいだったんでしょうか?
もう30年近く前の記憶であることに戦慄を覚えます…。
“日本海”と呼ばれる列車自体の歴史はなかなか古く、終戦直後に大阪〜青森間を結ぶ客車急行として1947年に設定された507・508レってのが501・502レとなり、1950年11月に“日本海”と命名されたとか。
ちなみにC57-1が大破した事故が1961年2月9日にこの急行・日本海を牽引している時ですね。
その後、1968年10月1日に寝台特急となり、客車も20系9両になりました。
折からの好景気に乗って利用客が殺到したのか、わずか1年後の1969年10月1日にはナハネが4両も追加され、堂々の13連となります。
1975年3月10日には14系13両に置き換えられ、湖西線を経由するルートに変更。
82年11月15日には、76年に14系から24系25形になり季節列車から定期列車へと昇格していた1往復ともども24系25形客車に置き換えられました。
JRへ移行したのちは、西日本と東日本で1往復ずつを受け持ち、特に西日本の担当分は青函トンネルを通って函館まで延伸。
しかしながら社会情勢の変化に伴い利用客が低迷。
JR東日本担当の1往復が2008年3月15日に、西日本の1往復も2012年3月17日に廃止となり、その長い歴史に終止符が打たれます。
北海道新幹線を使えば上野から函館まで4時間ほどで行けてしまう現代。
しかしながら、安価でゆったりとした旅を満喫出来る寝台特急の再評価の流れが来ねぇかなぁ?なんて考える昨今です。