前回の続きですね。

まずは梅小路に転属してからの流れをご覧ください。


1972年09月  梅小路機関区
1979年03月28日  備品化による車籍喪失(廃車)
1987年03月  車籍復帰


72年〜79年の間、74年の9月に全検を受けたとかで、車籍自体は79年の廃車まで残っていた様です。

その後、備品扱いと言いつつ梅小路の扇形庫の中は走っていた様な記憶がございます。

何度かお話ししておりますが、小学生の頃に連れて行ってもらった梅小路蒸気機関車館にて走行する姿を見てから2号機がワタクシのNo.1でございます。

ところで、車籍復帰が民営化のタイミングですからJRとしても何がしかの形で本線を走らせるつもりだったんだろうなぁと受け取れます。

ただ、もはや東海道・山陽線は悠長にSLを走らせていられるほどゆったりとしたダイヤではございませんし、かと言ってスーパーヘビー級のC62を持ち出すとしても線区が限られます。

となると、基本的にどこでも走る事が出来るC56やC57、そしてD51を走らせる方が生産的であるのは明白ですね。



それはそうと、京都に移ってからの2号機は、本線上にて12系10連からなる“SL白鷺号”を牽引しその健在ぶりを世に知らしめます。
某動画サイトにて東海道線を疾走する“白鷺号”の姿を拝見しましたが、それはそれは結構なスピードで全力疾走しておりました。

この元気な姿は、鷹取工場の意地の整備の賜物とされるお話もございます。

さて、ありがたい事にワタクシの手元には1972年に梅小路に越してきた仕様の2号機がございます。

ビカビカにドレスアップされたその姿。



場所は限定されますが、現在でも大切に整備されていつでも火を入れられる状態をキープされている2号機は、やはり幸せなロコであると言って良いんやろなぁと思います。

国内最大の旅客用蒸気機関車であるC62。
やっぱりこの魅力からは一生逃れられそうにありませんね。



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