このシリーズもあと少しでございます。
そもそもウチのC62自体そんなにたくさんあるわけでもございませんので…。

本日は、不思議な運命を今なお辿るこの機体です。


【C62-3】
KATO 2017-3
“C62-3 北海道形”

いつもの様に簡単な経歴を見てみましょう。
<落成>
1948年6月18日
<所属歴>
1948年6月26日 糸崎機関区(使用開始は7月7日)
1950年 8月  梅小路機関区
1956年 9月  小樽築港機関区
1971年 9月  第1種休車指定
1972年 3月  第1種休車指定解除
1973年10月      第1種休車指定
1974年 9月  第2種休車指定
1976年 3月  廃車

休車指定の記録がこれだけゴチャゴチャしたロコってーのも珍しいですね。

本来ならば、一回めの休車が急行“ニセコ”のラストランの後ですので、第1種ではなく第2種の休車に指定されてからの廃車、のちにバランバランに解体されてもおかしくなかったハズです。

ところが第1種に指定されたうえ半年ほどで休車指定が解除され、しばらく普通列車を牽引してみたり、何本かの記念列車を牽引したのち二回めの休車指定を受け、76年3月にようやく廃車となるわけです。

一度は車籍が無くなったものの、この機体もこれで終わらないのが面白いところですね。

1977年 5月 北海道鉄道記念館にて静態保存開始
1987年 4月 JR北海道・苗穂工場にて復元工事開始
1988年 4月 “C62 ニセコ号”運転開始

物凄くバブルの香りのする民営化前後の動きです。

しかしながら、1996年11月には、大口スポンサーの撤退に伴い再び廃車となり、それ以降は苗穂工場内にて保存・展示されております。

ホントにエピソードには事欠かないロコでして、北海道に渡った初めてのC62が3号機なのは有名なハナシですね。

また、一時はJR東日本が譲渡を持ちかけたらしいとか、清罐剤使い過ぎて配管ボロボロらしいで〜とか、噂が噂を呼ぶ様な状態です。

ただ一つ言えることは、C62は型式のトップ3機が現存している不思議な機関車であるという事でしょうか。

やはりC62ってーのは、いつまで経っても我々の心を掴んで離してくれそうにありません。