個性のカタマリ35号機。


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170機を超える機体が製造されたEF58を語り尽くそうなどとおこがましい事は頭の片隅にもございませんが、中年になって復帰したNゲージ愛好家の割には頑張って集めたかな?と自負しておる“うちのごはち”14機。


とうとう本日で一応のラストでございます。


しかしながら、この趣味を続ける限りは好きなロコは無限に増える傾向がございますので、その際にはまたご紹介が出来るよう、最終回とはせずに置いておきます。


そんなわけで、ウチに来てホヤホヤのこちら♪


〈EF58-35〉

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紛う事なき変形機です。

では簡単な略歴です。


製造/1952年(昭和27年)3月10日/東芝

廃車/1981年(昭和56年)6月9日/長岡運転所


上越形のイメージか強い35号機ですが、新製配置は高崎第二機関区なんですね。

その後東海道線全線電化に伴い浜松へ移され再び高崎第二→宇都宮と関東を転々とし、長岡第二機関区(のちに長岡運転所)へと配置転換されております。

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元々は大窓だったんですが、前面窓のガラスを合わせガラスにする際に小窓へと改造され、1968年には前面窓がHゴム支持へと変更されております。

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さてさて、35号機と言えば何を差し置いてもサイドの7枚窓ですね。

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実は流線形となったいわゆる“新EF58”としての落成1号機なんですが、元々は旧ボデーを纏ったデッキ付きの姿で製造が進められていた機体です。


それが戦後の“ドッジライン政策”によって一時製造がストップされ、製造が再開された時にこの形になりました。


そのため、元々開けられていた機械室窓に追加する形で片面2枚の窓が足されて7枚窓となったんだそうです。


もしお手元にKATOのEF13がございましたら、並べてみていただけると分かりやすいと思います。


余談ですが、運転室側面の扉の後ろに屋根上に登るための昇降階段が付いていますが、このラインに沿って新しい運転台の溶接跡があったそうです。

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また、乗務員扉そのものも、デッキ付き車体向けの前面扉を流用しておるため、窓の位置がほかのゴハチより高くなっております。


で、今回やってきたモデルは比較的晩年である昭和53年ごろのいわゆる“上越形”となった姿を再現しております。


改造に改造を重ねた最終形態と呼んでも良いスタイルですね。

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さてさて、今日は何を牽引しよっかなぁ?なんて考えておったんですが、実際には無かったんちゃうかな?と云うこちらをチョイスします。

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KATOの“つるぎ”ですね。


寒冷地仕様のマニ60にこれまた個性際立つ郵便車のマユ35、そして3等寝台にスハネ30と云う“クセが凄い”編成です。


大阪~米原間はゴハチの牽引だったとかで、ドサクサに紛れてやっちゃいましょうwww


このカットが最近お気に入りです(笑)

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これだけ遠目に見ても目立つ7枚窓。

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列車は一路、米原に向けて走って行きます。

先日某動画で拝見したんですが、かつての米原駅のターミナル感が半端無かったです。

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新しく線路を敷き直す時には、またちゃんと駅をこしらえなあきませんね。

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何故かその魅力に取り憑かれてしまったEF58。

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実車はもう鉄路を駆け巡る事はございませんが、ウチでは引き続き増殖して行きそうです。


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