果たして、“悲運のお召し予備機”なのか?
第8回で
「もうこの機体なん?」
と聞かれそうですが、あくまで“うちのごはち”ですのでご容赦いただきたいところ。
本日はロイヤルエンジンとして生を受けた2機のうち、予備機として有名な60号機です。
まずはいつもの略歴でございます。
製造/1953(昭和28)年7月27日 東京芝浦電気
廃車/1983(昭和58)年5月17日 浜松機関区
廃車の項目に浜松機関区とございますが、1953年7月30日に新製配置されてから廃車されるまで、ずーっと浜松で過ごした機体です。
そもそも何故浜松機関区に配備されたのか?
60号機が生まれた昭和28年7月の21日には東海道線が名古屋まで電化されました。
来たる東海道本線全線電化に備え、浜松を関東と関西の中間地点として設定し、お召し列車牽引機のリレーを想定してこの配置になったと言われております。
しかしながら、実際には新製配置から約2年間は上りと下りを60・61両機がそれぞれ片道ずつ牽引したとか。
60号機がツイていなかったのは、1967年5月・浜松で踏切事故の被害を受け2エンド側左台枠を折損した点でしょう。
もちろん修復はされたんでしょうが、1973年にお召し指定解除された後は一般機と同じ扱いとなってしまいます。
今回ご紹介しておる機体はお召し指定が解除されたのち、前面窓がHゴム支持に改まった姿がモデルとなっております。
いわゆるその他大勢のゴハチと同じく客車列車やら荷物列車やらに大活躍したそうで、もともと大窓だった前面窓も小窓化されてしまっております。
ただ、ボデーをぐるっと一周するステンレスの飾り帯や、俗に“ため色”と呼ばれる茶色い塗装は維持されたんですね。
東芝がプライドをかけて製造した60号機も、事故に遭ったりさっさとお召し指定を解除されたり、字面だけを見ると不遇な機体に見えますが、果たして、電気機関車として考えるとそうなのだろうか?とも感じます。
落成してから30年に渡り活躍し、晩年は東海道・山陽路を行ったり来たりしながら多くの列車を牽引して活躍した事を考えれば、そんなに悪い生涯でも無かった様に思います。
さてさて、今回お供として引っ張り出すのはこちら♪
KATO 10-899
“郵便・荷物列車「東海道・山陽」”
こんなん出ましたけど♪
6両セットに単品を増結しまして総勢9連でございます。
早速60号機にエスコートしてもらいまして…
出発♪
総勢10連で東海道を下って行きます。
側面の帯を撤去し、青い一般色に塗り替えられても不思議では無かったはずなんですが、周囲の方々の配慮により最後までこの姿だったそうです。
次回はもちろん、あの機体の登場です。
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