C62の3号機についてちょっと調べてみました“知ってるつもり!?”風味の2回目です。

イメージ 1

(Rail Magazine 249号より)

このカマの運命が大きく変わるのは昭和31年のこと。

東海道線の全線電化が完成し余剰となる予定のC62を一部、北海道に転属させ函館本線のいわゆる“山線”を走る急行列車を重連で高速運転させようと云う豪快な計画のもと、他の機体に先駆けて9月に梅小路から苗穂工場へ持ち込まれます。

ここで軸重軽減措置がとられ、 テスト運用を重ねて路線へのダメージも問題ないレベルと判断されたことから最終的には7両のC62が小樽築港機関区に転属し、伯備線のD51の貨物列車牽引3重連に並ぶSLブーム末期の名シーン、函館本線小樽~長万部間の“山線”越えにおけるC62急行列車重連運転が始まったわけです。

ところで、先行して北海道に渡っていた3号機の次に津軽海峡を渡ったのは2号機ですね。

のちに大ブームを起こす“スワローエンゼル”が事実上“山越え”の前補機運用限定になった頃、ゴールデンコンビとされたのはやはり連番の3号機でありました。

つまり、急行“ニセコ”を全区間牽引していたのは2号機以外のC62であり、順次解体されて行く僚機を横目に休車→一瞬復活→廃車からの静態保存、更には民営化後に動態復帰と云う道のりを歩んだ3号機は、実は北海道で一番愛されたC62やったんやないかな?と思います。

JR東日本も一時購入を検討するぐらい不思議な魅力のある3号機ですが、実車が走り回れない以上愛好家がたとえ模型だろうが元気に走り回らせてやりたいと思うのも人情でありましょう。

いかがですか?

3号機にもDan Dan心魅かれてきませんか?


Swallowtail
http://swallowtailc62.blog.fc2.com

Instagram
https://www.instagram.com/koasarocks/

YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCPy007RRix1LAYk8vkPMQDQ

電車、走らなくても良いんだけど…鐵道模型
http://mahorobatetsudou.blog.fc2.com/