著者得意の中国を舞台にした歴史小説。著者が読んでいたアジア歴史事典で知った、一人の中国人武将、郭侃カンカン。

13世紀にモンゴル帝国の西征に参加して、地中海に達した中国人将軍だという。

その人物の一生を描いたのが、この作品。

祖父の代からモンゴルにつかえた郭家。

後に漢人として唯一、宰相にまでなった史天沢に推挙され、モンゴル帝国の四代大可汗のモンケに謁見した郭は、命をうけ、モンケの弟フラグの西征に向かうことになる。時に、フラグ37歳、郭侃と同年。1253年。

チンギス大可汗のあと、その次男のチャガタイ、三男オゴタイは、モンゴルの西方に新たなモンゴル国家をつくっていたが、さらに西方のイラン、メソポタミア、さらにはエジプトまでの征服を望んでいた。その任に当たるのが、チンギス大可汗の孫になるフラグだった。次男のフビライは東の中国攻略を任されていた。

郭侃は砲術に堪能で、ペルシア人の考案した大砲を改良した回回砲を輸送しながら、武器として扱う漢人部隊を任される。騎馬戦に優れてはいても攻城戦が苦手なモンゴル部隊を助けるために派遣された。

モンゴルの本土カラコルムからゆるゆると進み、チャガタイハン国のサマルカンドを経て、ペルシアに到着したのは二年後だった。川や水が苦手なモンゴル人のために、川には舟を並べて橋を作り、城攻めでは城壁の一部を破壊して、モンゴル騎兵の侵入を手助けした。

勘がすぐれ、戦術家でもあった郭により、モンゴル部隊はペルシアを滅ぼし、さらにイスラム教徒で暗殺集団でもあったイスマイル派の本城アラムートを攻略し、イランのバグダッドに侵入。ついにサラセン帝国を滅亡させる。

モンゴル軍はさらにシリアに向かい、ついに地中海の一端に到達することになる。

ここで郭侃は海に沈む夕日をはじめて見ることになる。これか彼の幼い頃からの夢だった。

そのときにモンゴルから急報がある。大可汗モンケの死であった。

しかし、モンケはすぐに帰国せずに、この際自身の国となるイルハン国を固めるために、エジプト侵攻を決意する。

この時の戦闘でモンゴル軍ははじめての敗戦を経験する。エジプトの知将がとった作戦は、これまでモンゴルが得意としていた戦法だった。

さいわい、将軍に疎んじられていた郭侃ら漢人部隊は後方にいたので、なんとか生き延びることができた。

エジプトやシリア征服を断念したフラグに命じられ、本土に戻ることになる郭侃。次の大可汗をフビライにし、その傘下に入ることを命じられる。

夢を果たし、半ば隠居した気分の郭侃は、すでに大可汗になっていたフビライに謁見し、中国攻略のために働くことになる。

晩年は静かに地方領主として穏やかにすごし、なくなる。享年61。