よかった、感動的な物語。
医学部9階の屋上に一人いた時田習が、
金網に手をかけたときに、声をかけたのは清家さやかと名乗る年下の女性。大学見学に来たが迷ってしまったと言う。埼玉の春日部から東京にあるこの大学はずいぶん遠い。習は横浜から通っていると答える。大学受験の参考に現役大学生から話が聞きたいと言う。
習は医学部5年生。実習が始まり、血を見ることができない自分に気づいて、夏休みまでの数かヶ月実習をサボっていて、このままでは進級できない。
積極的に話しかけ、習に家庭教師を頼んできたさやか。一緒に図書館で勉強を始めた習は、さやかの右手が使えないことを知る。左手だけですべてをこなさないといけない。
習に家庭教師を頼みながら、さやかの志望は教師だと言う。その時聞こえたピアノの音を聞き付けて、部室棟へ向かい、グランドピアノを目にしたさやかは歓声をあげる。左手だけで、さやかが弾くカノンの演奏に驚く。彼女は小さい頃からピアノが好きだったと言う。
そんな出会いから始まった習とさやかのデート。さやかの住む春日部まで行き、彼女の馴染みの店でピアノ演奏を聞く。
課題曲が決められている一般のクラシックのコンテストには出られないが、唯一自由に曲を選べるコンテストがある。誰もが予選に出て演奏できる。勝ち上がって全国大会で優勝すると、プロにもなれる国内ハイレベルのコンテスト。店のマスターはもとピアニストで予選を勝ち上がったこともあると言う。さやかも無理だといいながら、それに出たがっている。

十二年前、列車の転覆事故があり、習を庇って、父は死んだ。習は幸い自由に動けたために、救護隊員が列車内には入れないため、代わりに何人かの怪我をした乗客を入り口まで連れ出す手伝いをした。その時の本人や家族からは今もお礼の手紙が届くが、なき父を思い出したくない習は一切無視している。その時のトラウマにより、血を見られない習は、長年勉学してきた医師になれないと、将来を悲観していた。
さやかとの出会いが習を変えていく。彼女を好きになり、彼女の左手が奏でる音楽に魅せられていく習。
10日ほど音信が途絶えたさやか、嫌われたのか、彼女に何かがあったのか、心配に耐えられず、習は春日部まで行き、さやかの嘘を知る。これまで習に語ってきた話の嘘を。
さやかは習が十二年前に助け出した少女だった。両親に右腕を押さえられていたために麻痺し使えなくなった右腕。
命の恩人に一目会いたいと、音大受験のついでに訪れた大学。今にも飛び降り自殺しそうな習に、思わず声をかけ、彼を見過ごせず話しかけ、デートしてきた。
さやかとの出会いで、生きることを決意し、臨床医でなく研究医をめざす習。いつか、さやかの麻痺した右手を動かしたいと。ピアニストになる夢を諦められず、左手だけで演奏する曲目でコンテストに挑むさやか。
諦めていた将来への夢を取り戻した二人の出会いと恋。彼らの夢が叶うことを祈りたくなる。