早朝に京をたち、若狭街道を歩む3人連れ。7、8才の子供をつれた初老の中間、中年の女中。武家の主従と思われる一行に襲ってきた2人の侍。国許から追ってきた刺客だった。小栗雅楽助と子供を呼ぶ。
抵抗した中間は惨殺され、女中まで切られたときに、現れたのが、乞食のような汚れた服装の男。さらに、その乞食を知っている武家の主従が現れて、刺客の1人は斬られ、もう1人は逃げ出す。
時代は五代将軍の時代、赤穂の殿様が城中で刃傷を起こす前年。
乞食男は木屋権佐衛門という立花師で炭問屋の主、池坊で優秀な弟子だったが、破門されて行方不明になっていた。後から現れた武士は、広島藩京留守居役の桃田と、家来の大槻。桃田は、斬られて瀕死の女中を、近くに居合わせた富山の薬売り菊蔵に手当てさせる。
気丈にも刺客に立ち向かおうとした子供は、名前も素性も木屋にも桃田らにも明かさない。
何か事情がありそうだし、逃げた刺客も心配。木屋は新たな一派をたてるつもりで、故郷である加賀山中に向かうところ。それならついでにと、子供をつれて行くことにする。女中は傷の養生のために、桃田が京まで連れていくことに。菊蔵も一緒にいく。
刺客に斬られる前に、女中は主に頼まれた逃走先を若様である小栗に伝えていた。能登の先にある長光寺という、大谷本願寺の古刹。そこに主の兄である伯父が暮らしているという。
こうして若様と女中は離れた。

加賀山中の温泉宿に木屋と共に、わらじを脱いだ雅楽助は、名乗らないために、木屋は自分の幼名である八十助を子供に与える。
新たな立花の旗揚げを目指す木屋に、八十助は入門し、弟子入りする。
一方、女中ははじめ、桃田の住む京屋敷内で、ついで、町家で暮らし始め、世話をする菊蔵と関係を持ってしまう。実は菊蔵には、国許の富山に。妻子が待っていた。あとで、女中のことがわかり、妻子は自害するらしい。それの償いとして、女中は単身で、巡礼の旅に出る。

刺客の襲来を恐れていた八十助のもとに現れたのは、師である木屋への刺客だった。家元を囲む高弟らが、勝手に流派を守る名分で、刺客を放った。

師の急死で、立花を学べなくなった八十助は、立花をあきらめ、料理人になろうと転向する。滞在する温泉宿に、引き抜かれてきた料理名人が居て、その感化らしい。

木屋の幼馴染みで、温泉宿の主である男が、能登に手紙をだし、八十助の、雅楽助の近況を、伯父に知らせる。
のちに、伯父は雪道をおして、山中に現れて、雅楽助にあう。そして、小栗家に伝わる秘密を雅楽助に打ち明ける。代々小栗家では、長子が敗着されて、次男が嫡子になっていた。
なぜ、そんな慣行ができたのか?その意味は何か?藩から刺客を差し向けられるほどの罪なのか?

料理人として成長した八十助は、加賀藩の料理人として仕えることになる。その時、加賀藩の留守居役である人が、桃田とも親しく、八十助のことも聞いているが、小栗家がなぜ藩から狙われたのか、それだけがわからない。能登の伯父から聞いているはずだし、親しいもももだけには話したらどうか、そうすることで、過去と決別し、新たな生き方ができるのではないかと諭す。
八十助は、京に親しいものを集めて、初めて小栗家の秘事を打ち明ける。小栗家の初代は豊臣秀頼に小者として仕えていた。子をもうけて帰郷し、丹波篠山藩に藩士として取り立てられた。当時から、大阪から連れてきた子が、秀頼公の隠し子ではないかと。豊臣家が滅んだ後は、その噂は小栗家にとっては危険なものとなった。そのために、長子を廃する慣行が始まった。小栗家の秘事として行われていたが、当代になって、若党が喧嘩の際につい口を滑らして、藩に知られることに。豊臣の血筋かもしれないということは、徳川時代の始めには問題になりうる。幕府に知られないうちに始末しようと、小栗家を藩から抹殺しようと、八十助の両親や一族は皆殺しになり、八十助も刺客に襲われた。
そして、八十助らは、こうしたいきさつを文書にして、京都所司代を通じて、幕府に伺いを求めた。結果、お構いなしとなり、晴れて八十助は自由の身となる。

八十助は、豊臣家に縁故ある松代藩真田家に仕えることに。気にしていた遍路旅に出た女中も見つかる。
そして、その翌日、真田家の京屋敷新築祝いの席に出た八十助は、立花のために訪れた池坊の会頭職の一行の中に、池坊を破門された木屋を暗殺した下手人を見つけ、形見の扇にて、見事敵討ちを果たすことになる。再度幕府に伺いを立てた八十助は、敵討ちを認められ、自由の身となり、女中の伊勢と再会する。