天皇家にも江戸幕府の隠密に当たる忍者が存在していた、京の北の郊外にある比叡山の麓の村八瀬と、鞍馬山の手前にある村静原の二つが長年その地位をめぐって対立していた。
後白河法皇の時代、静原の北東にある寂光院を何度となく訪れた法皇は、難所の連続である道中の危険を考え、鞍馬回りの道をとり、地元である静原の村人を、輿をかつがせた。いつしかそれが習慣となり、静原村は朝廷の駕篭丁を命ぜられ、さらには隠密の職務まで果たすようになった。
それが変わったのは、後醍醐天皇の時代、足利尊氏の襲撃を受けた天皇は、比叡山を越えて近江坂本に等走路を定めた。当時、比叡山の傘下にあった麓の村八瀬に、天皇からの特命により、輿を担いだ。その助けの見返りとして、天皇は八瀬の村に駕篭丁を命じ、租税を免除する書き付けを渡した。
このため、静原村はいつしか忘れられ、時に嘆願などはされたが、後醍醐天皇が八瀬に下した書き付けのために阻まれてきた。
時は江戸幕府の初期、家康から将軍位を継いだ秀忠の時代。幕府の朝廷や公家に対する締め付けが始まった頃。
静原村の筆頭竜王坊が病に倒れ、鞍馬で修行していた、嫡男の竜王丸が戻ってきたのを期に、新たな闘争は始まることになる。
八瀬から朝廷の駕篭丁の職を取り戻すためには、八瀬に下された後醍醐天皇の書き付けを奪うか、消し去るしかない。そのために、竜王丸は武術の達人で小柄な黒兵衛と二人、八瀬村に侵入し、密かに探し続けていた。
やがて親の命ずる婚儀を嫌い、家出した八瀬の頭領釈迦童子の娘と知り合い、結ばれる。
探し物の探索には影響はなく、やがて八瀬のうぶすみ神社内に隠されていた書き付けを見つけ出し、奪った静原冠者。
とはいえ、これで五分の対決ができるようになっただけで、地位の回復がなされたわけではない。
幕府が推し進める策略は、秀忠の娘の天皇への輿入れ、そして次期天皇を生ませて、秀忠が天皇の外祖父となるというもの。さらに秀忠はそうなれば、天皇と朝廷を江戸に移し、幕府の管理下に置こうという壮大な陰謀だった。
それにより起こる幕府と朝廷の対立に、八瀬と静原はまきこまれていく。
朝廷懐柔のために、幕府は八瀬に近づき、静原は反幕府の公家の用を足すようになる。その間、互いの村を襲ったり、村人を殺害したりの事件はいくらかあるものの、決定的にどちらかが屈服することはなかった。
秀忠の野望は結局、天皇に嫁いった娘和子の江戸に下ってまでの嘆願により、中止となる。反幕府の公家に協力した静原は、駕篭丁の地位は取り戻せなかったが、隠密ご用を拝命する。
さらに、八瀬の頭領と一騎討ちした静原の若き頭領、竜王丸は勝ち、釈迦童子は自害する。これで、静原が一矢を報いた形だが、八瀬と静原の双方が朝廷に仕えることになったわけで、この先に波乱が起こりそうだ。
といっても、私はその波乱を先に読んでいるのだが。