徳川十代将軍家治のころ、京では倒幕運動が密かに始まる。
数年前に若向き天皇桃園天皇のころ、尊皇思想が広まり、政権を幕府から朝廷に取り戻そうとしたことがある。若い近習らにより企てられたそれは、現状維持を願い、幕府を恐れる摂関家のためについえた。計画に荷担した若い公家たちが永蟄居などの重い罰を受け、天皇自身も皇太后に押さえられて、なすすべがなかった。以来心労が重なり、二十二才の若さで崩御。
それを聞いた罪を得た若い公家たちは、再度の決起を決意する。カレラをごえいしていたのが、静原冠者と呼ばれる天皇の忍者集団だった。古くから天皇の忍者の地位を争ってきた八瀬童子と呼ばれる集団は、地位回復を願い、摂関家一門に荷担していた。
静原冠者の護衛で、蟄居中の公家たちのひみつのかいごうがしきりに持たれ、さらに尊皇思想を高めるために、かつての事件でところ払いされた竹内式部を伊勢から迎えて、次第に尊皇思想から倒幕へと思想は激化していく。さらに軍学者まで仲間に引き入れ、倒幕のための味方を増やすために、雄藩や尊皇の篤い大名などに支援をもとめたり、大阪の商人に資金援助をもとめたりと、次第に計画は具体化していく。
最後の切り札は、天皇の密勅。それさえあれば、幕府に不満を持つ大名を味方にできる。
しかし、新たな天皇となった桃園天皇の姉君から、密勅を出すことはできたが、それを八瀬童子に奪われ、そのために計画は無となる。天皇の意向で計画に荷担した公家には罪を問われなかった。ただ、思想的に計画を推し進めた山形大弐は幕府にとらわれ、死罪となる。
この作品の眼目は、この事件の背後で暗躍した二つの忍の集団の闘争を描いているところ。
幕府隠密だった伊賀甲賀の忍びが廃れた時代に、いまなお京洛の地で活躍した忍びがいたことに驚く。