戦国時代末期に活躍した京の狩野家四代目の天才絵師永徳、その半生を描いた作品。
永徳が関白近衛家の鷹匠に頼んでいたもでるにする緋連雀が、手に入ったという知らせで、駆けつけたときに見せられた小鳥の絵。鳥を捕まえる場所にいた女人が描いたという。うまい絵だが、もがいいている小鳥では画題煮はならない。狩野派の画法は端正であること。
そう言いながらも、鳥の動きと表情を的確にとらえた写生に驚いていた。
狩野家の嫡男に生まれ、生まれつきの才能ばかりでなく、絵を描くことが何より好きだった永徳。
その女人と数年後に会うが、染め物業の主と婚約し、国許の能登で祝言をあげると聞かされ、弟子にすることを断念。それよりも、相手の男が描いた仏画に圧倒された。長谷川信春という男が、永徳の前に立ちはだかる。のちに、彼が留守のときに、信春は永徳の父に入門を許されるが、見事な絵を見た永徳の嫉妬により破門される。さらに後には、大徳寺の三門の障壁画が長谷川に決まったと聞いた永徳は懇意の公家により、その話を壊すほどに、嫉妬の炎を燃やす。
足利十三代将軍の義輝に依頼された京の洛中洛外図。あまりに打ち込みすぎて、なかなか描けないうちに、将軍は殺されてしまう。京のすべてを描きたい、かかれる人物のすべてに心を描きたいという気負いが邪魔をする。凡庸の絵師だと馬鹿にしていた父に、絵には見るものの心を残す余地が必要だと諭され、ようやく入れ込みすぎた自分を反省するも、永徳は生涯、その勢いをためることができなかった。
三代の祖先の蓄えた扮本、それを利用すれば済むところを、もって生まれた絵師の技量と心意気が、父のようにたんたんと描くことを拒否した。
信長と秀吉の二人の天下人に才能を認められ、画業を発揮した永徳だが、紙に描いた絵は、戦乱により灰塵に期す。それでも描きたいからと、一門を引き連れて、新造の大阪城のすべての絵を手掛けた永徳だが、過労により、五十で命を落とす。
絵にかけた一代の夢、そこに命を捧げた男の生きざまを描いた作品だった。