能登から京に出て、絵師として精進し、世に認められようとした等伯は、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの狩野永徳と対決することになる。織田信長のあとを継いだ秀吉の時代に二人の対決が始まる。
永徳の増上慢を治めようと、永徳の父である狩野松栄の引きで、永徳と一緒に聚楽第のふすま絵を描くことになる。出来上がった絵を、永徳の弟子たちにより入れ札で優劣をつけようとしたら、引き分けになってしまう。不快な永徳。しかし、その後永徳は久蔵の素質を見抜き、自分の弟子として預かりたいという。久蔵も永徳の絵に魅せられていたために、それを承知。
堺の油屋の出戻り娘だった清子は、商いにも詳しいことから、等伯の店で働いていたが、些細な喧嘩で仲たがいをしたことがきっかけで、等伯の後妻になることに。
大徳寺の三門の絵を任されることになった等伯だが、自分の弟子だけでは手が足りないと、狩野派に弟子入りした息子、久蔵をもどしてもらおうと掛け合うが、何のかのと引き伸ばされしまう。さらに狩野派の技法を教えられた久蔵が狩野派に迷惑をかけたら、京を出るという念書まで要求される。
ようやく、父親の窮状を知ったら久蔵が帰ってきたものの、職人の手が足りず、余所に頼もうとしたら、狩野派の企みで、それもできなくなる。陰険な狩野派のやり口に、等伯との確執は強まる。しかし、この絵により、等伯の名は天下にとどろく。
秀吉の小田原征伐の頃、後妻の清子が懐妊。永徳の父松栄の依頼で、狩野派と和睦しようとしたものの、永徳のかたくなな態度に喧嘩別れしてしまう。しかもその直後に、永徳は死亡。狩野派との確執は深まるばかり。それがもとに、久蔵はのちに事故死する。
そんな折、またも実家の兄が旧主のためにと無心をいってきて、清子の反対を押して、等伯は大金を無駄にしてしまう。さらに、それがきっかけで、石田三成と利休の対立に巻き込まれることにもなる。利休の死後、秀吉が跡継ぎである鶴松をなくしたことが因となり、利休とその支援者へのとばっちりはなくなる。
逆に、鶴松の菩提寺が建立されることになり、そこの絵を任されることになる。
息子久蔵と腕を振るおうとしていた矢先、朝鮮出兵のために、肥前に作った城の絵の仕事に、久蔵が狩野派と共にすることになる。
一時的に戻った久蔵は見合いをして、妻女となる娘が見つかり、さらに清子に二人目の息子ができた。等伯は久蔵と共に故郷に帰り、旅先で命を落とした前妻の遺骨を納め、さらに長年無沙汰の一族に再会する。旧主の城はすでになく、加賀前田家の領地となった故郷は変わり果てていた。しかし、その七尾の海の情景こそが自分の原点だったと認識した等伯。それこそが彼の代表作、松林図のもとになった0情景だった。
京に戻り、久蔵が肥前に旅だったあと、しきりに悪夢にうなされた等伯は、夢ときの巫女に占ってもらうと、近親者に不幸が迫っているという。
そして知らされた久蔵の事故死。信じられない等伯は一緒に仕事をしていた狩野派の仕業ではないかと疑うが。折しも朝鮮出兵の後始末に懸命の秀吉に訴えるすべもなく、密かに調べあげ、直訴状を懐に、帰京した秀吉に拝謁。そのとがで、裁断されるところを救ったのは、長年の知己である前関白。
今までになかったような絵を描きあげたなら、命を救うという約束を取り付ける。その結果生まれた、等伯の故郷七尾の海の情景を描いた作品で、等伯は恨み辛みを忘れ、久蔵への供養になっったと思う。
その後名声は確固たるものになり、穏やかな晩年を過ごす。朝廷から法限の位を受け、名実ともに天下一の絵師となる。
七尾の長谷川家から養子を迎えて跡取りにし、妻の死後一線をしりぞいていた等伯だが、72才にして、天下をとった家康の招きにより、江戸に向かうことになる。御用絵師になることを望んではいないが、子供たちや一族のために、天下人の要請に答えようとしていた。
物語は、ここで終わる。歴史的には江戸に赴いてまもなく等伯は死んだらしい。