安土桃山時代に活躍した絵師、長谷川等伯の生涯を描いた作品。

能登七尾で絵仏師として一家をなしていた等伯、当時は信春。七尾城主だった畠山氏に仕える武士の末っ子だった信春は、幼い頃から絵がうまく、乞われて、11歳で絵仏師の長谷川家の養子となった。養父宗清の娘静子と世帯をもち、二十年。一子久蔵を得て、絵仏師として近在の寺院の絵も手掛けて、一人前の絵師になっていた。
そんな彼にも夢があった。京で修行し、当時世に知られていた狩野永徳に並ぶ絵師になること。人間50年と言われた当時、すでに半ばを過ぎて、田舎の絵仏師でおわることに不満が募っていた。そんな不満を養家では口に出せず、酒の勢いで、実家の兄武之丞に漏らしたことがきっかけで、数奇な道を歩むことになる。
実家が使えた畠山氏は、七人衆と呼ばれる重臣と対立し、城主親子は城を追われていた。彼らの七尾城復帰のために働いていたのが、兄武之丞。その頼みで同盟を結んだ朝倉氏への使いを頼まれた信春。気が進まないままひきうけたが、兄からの使いが来る前に、七人衆のてのものにおそわれ、養父母は自害。妻子は養父の機転で蔵に隠れ、助かった。
養父の一族に追われて、七尾を旅だった信春親子3人。法華信者だった縁や、絵を納めた縁で、あちこちの寺の世話になりながら、京を目指す。
織田信長の朝倉攻めのため、敦賀から動けなくなった一行。単身京へ向かった信春は、山師の案内で、山岳伝いに、比叡山までたどりつくが、信長の比叡山襲撃に遭遇。幼い子供をつれた僧の危機を救うために、織田軍に立ち向かい、無事京にはたどり着けたものの、指名手配になっていた。扇絵師をしたり、知り合いの寺に匿われて1年。ようやく敦賀に残してきた妻子を引き取りにいけた。
織田軍と反織田勢力の渦中にある京で過ごす信春親子。
法華寺の院主の肖像画や本願寺の教主の跡継ぎの肖像を頼まれ、見事に果たして、多少知られるようになる信春。
小康状態だった京は、武田信玄西上を期に、決起した前将軍義昭により、織田軍の蹂躙を受けることになる。上京焼き討ちにより、世話になっていた寺を追われた信春らは、法華寺を転々としながら、堺の寺で世話になることに。
信長が本能寺で命を落とし、秀吉の時代になって、ようやく自由の身を獲得した信春。
肺炎のため、死期がせまった妻静子に故郷をみせようと、七尾を目指して旅立つ。しかし、京にはいる前の一年、信春の帰りを待った寺で、静子は死去。死ぬ前に、当時寺子屋で教えた子供にあったり、夫信春と一緒にいられたために、穏やかに死を迎えられた。
三年後、信春は堺の商家に世話になっていた。以前世話を受けた法華寺院主の里。ここで、信春は障壁画、水墨画、肖像図など、あらゆる分野の絵に取り組む。商家の茶会で、当時の茶人にも知古を得る。
さらに、西洋画の技法の習得にも手を染めていた。47歳になり、油が乗った信春。

下巻では、信長に仕え、今は秀吉に乗り換えた狩野永徳との対立が描かれるようだ。