謎の絵師写楽の正体をめぐる謎解きを小説仕立て描いた作品。探偵役は葛飾北斎。解答は秋田蘭画の人物。
日本の測量図を海外に持ち出そうとして幕府に止められたシーボルト事件。シーボルト自身は追放されただけだが、彼を助けたと思われた人々が捕まり罪を得た。北斎も風景画には外国人に日本の地理に関する不必要な情報があるということで、絵を描くことが禁じられた。北斎、時に七十五歳。牢に入れられたら病となり、絵筆がとれなくなるかもしれない。それを恐れて北斎は、描き終えていた富嶽三十六景を版元に預けて、浦賀へ逃げ出した。絵筆をとることさえできず、憂鬱な日々を送っていた北斎は、昔のことや将来のことなど、あれこれと思う。
苦労人の北斎がいっぱしの絵師と認められ、あまつさえ外国人に芸術家と呼ばれるようになったのは、やはり写楽の絵が一つのきっかけだった。現実そのものを写しとる、写真主義の写楽絵。歌麿が醜い絵だと称した。役者を役の姿ではなく、そのうちの姿に焦点を合わせたような描き方。それに北斎は強い影響を受けた。
四代目鶴屋南北の三回忌に集まった北斎、滝沢馬琴、安藤広重は南北が執心していた写楽の謎をなんとか解きたいと話す。一つの説が、写真主義と言うところから、西欧画の影響で生まれた秋田蘭画。ただ外国人にも評価はされたが、買われなかったために、廃れて自然消滅していた。写楽登場以前になくなっていた。
秋田蘭画は秋田藩主、角館城代、家臣の小田野直武が中心人物で、その小田野が写楽登場の十数年前に亡くなっている。
それでもその線を捨てきれない北斎は秋田蘭画のことを現地に赴いて調べてみようと旅立つ決意をする。娘のえいも一緒に旅に出るも、当時東北は大飢饉で、食べるものもなく、江戸に向かう浮浪民で溢れていて、女の身では危険だと、途中寄り道した水戸の藤田東湖に止められたため、単身秋田に向かう。
写楽の謎を解く鍵は平田源内だった。秋田蘭画の始まりに関わったのが源内であり、秋田蘭画が忽然と消えたのもやはり源内が原因だった。そのあたりを推理し、現地の秋田藩の小田野の息子や、藩主菩提寺の主、さらには現藩主にまで面会して、北斎は自身の考えに自信を持ち、確認する。
小説の形だからすんなり読めるが、はたしてどれだけの裏付けのあるものなのか。まあ、つまらなかったわけではないが。
日本の測量図を海外に持ち出そうとして幕府に止められたシーボルト事件。シーボルト自身は追放されただけだが、彼を助けたと思われた人々が捕まり罪を得た。北斎も風景画には外国人に日本の地理に関する不必要な情報があるということで、絵を描くことが禁じられた。北斎、時に七十五歳。牢に入れられたら病となり、絵筆がとれなくなるかもしれない。それを恐れて北斎は、描き終えていた富嶽三十六景を版元に預けて、浦賀へ逃げ出した。絵筆をとることさえできず、憂鬱な日々を送っていた北斎は、昔のことや将来のことなど、あれこれと思う。
苦労人の北斎がいっぱしの絵師と認められ、あまつさえ外国人に芸術家と呼ばれるようになったのは、やはり写楽の絵が一つのきっかけだった。現実そのものを写しとる、写真主義の写楽絵。歌麿が醜い絵だと称した。役者を役の姿ではなく、そのうちの姿に焦点を合わせたような描き方。それに北斎は強い影響を受けた。
四代目鶴屋南北の三回忌に集まった北斎、滝沢馬琴、安藤広重は南北が執心していた写楽の謎をなんとか解きたいと話す。一つの説が、写真主義と言うところから、西欧画の影響で生まれた秋田蘭画。ただ外国人にも評価はされたが、買われなかったために、廃れて自然消滅していた。写楽登場以前になくなっていた。
秋田蘭画は秋田藩主、角館城代、家臣の小田野直武が中心人物で、その小田野が写楽登場の十数年前に亡くなっている。
それでもその線を捨てきれない北斎は秋田蘭画のことを現地に赴いて調べてみようと旅立つ決意をする。娘のえいも一緒に旅に出るも、当時東北は大飢饉で、食べるものもなく、江戸に向かう浮浪民で溢れていて、女の身では危険だと、途中寄り道した水戸の藤田東湖に止められたため、単身秋田に向かう。
写楽の謎を解く鍵は平田源内だった。秋田蘭画の始まりに関わったのが源内であり、秋田蘭画が忽然と消えたのもやはり源内が原因だった。そのあたりを推理し、現地の秋田藩の小田野の息子や、藩主菩提寺の主、さらには現藩主にまで面会して、北斎は自身の考えに自信を持ち、確認する。
小説の形だからすんなり読めるが、はたしてどれだけの裏付けのあるものなのか。まあ、つまらなかったわけではないが。