江戸時代に会席料理を確立した八百善四代目善四郎の生涯を描いた作品。
八百善というとなぜか菊亭八百善という言葉が浮かぶ。九代目の善四郎に嫁いだ女性を主人公に、店に関わる人々を描いた宮尾登美子さんの作品があった。後にテレビドラマになったそれが、頭のすみに残っていたのだろう。

八百屋から身を起こし、精進料理の店として知られた福田屋。その息子善四郎は生来好奇心旺盛で、見よう見まねで、店の職人や見習いの仕事を見ながら、料理に親しんでいった。十六歳の時に、母親が奉公していた大名相手に金貸しをしていた、広壮な屋敷を持つ水野で元服式を済ませ、二年ほど奉公する。後にわかったのは、主人の手がつき懐妊した母親を福田屋の父がまるごと受け入れて妻にしたらしい。それだけの太っ腹な父だった。水野の屋敷での奉公は辛くないどころか、のちの善四郎のもとを作ることになる。金を借りる際の卑屈さから武士を怖がらない度胸が生まれたし、主が名だたる料理屋で接待するときに、そんな料理の一端を味わう経験をした。
さらに京料理の名店ではタイのさばき方を教えられたり、生涯の知人となる酒井家の若様、のちの抱一上人との初の出会いを果たす。

精進料理は法事で使うものだから、鰹の出しも使えない。それを一工夫して、丹念に材料に手を入れて料理に仕立てる。
水野屋敷から帰ってからは、父親に勝る熱心さでこだわり、精進料理屋として名をはせる。
当時の文人とも知己となり、また抱一上人の吉原参りに付き合ったりすることで、やがて精進料理を飛び出して、会席料理へ進むことを望むようになる。それには職人三人だけの厨の福田屋では手狭。借金までして店を改築した善四郎は次第に江戸ばかりではなく、周辺にも知られる存在となっていく。

いまだ福田屋の父のしたで働いていた頃に代参で、伊勢講の伊勢参りに参加して、当地の料理を学んだことでより広い料理に目覚めた善四郎。出版屋に勧められ、馴染みの文人に前書きや挿し絵を得て、自分の料理を世間に公開する本を出した。『料理通』生涯に三編出して、今に残る。
文政期には時の将軍家斉が鷹狩りの休息に別荘にたちより、苗字帯刀も許すと言われたが、それを求めなかった。それでは幕府の家来になってしまうという江戸っ子の意地のためか。還暦を迎えて引退した善四郎はあくなき好奇心で長崎に旅立つ。七十二歳で蛮社の獄の年に永眠する。