ファーブルの生涯を、既存の二つの伝記と、ファーブルの『昆虫記』からの引用を材料に、まとめている。
著者はドイツの俳優、児童文学作家。これが出るまでは、本国とは違い、ドイツ語圏ではファーブルはあまり知られていなかった。

『昆虫記』は単なる昆虫の観察記録ではない。ファーブル自身の思い出や人生のエピソード、あるいは数少ない著名人との交流についても述べられていて、科学の書というよりは、エッセイに近い作品。
生涯、困窮生活に悩まされたファーブルが晩年に至り、ようやく名誉と金銭に恵まれたが、それはかえって彼にとっては、好きな研究を妨げるものでしかなかった。科学論文を書く科学者などからよりは、文学者に好評だったらしい。ノーベル賞の候補にもあがったが、それは文学賞だった。

貧しい家庭に育ちながらも、一生懸命に勉強し、物理学と数学の教師となった。最初に赴任した小学校ではあまりの低収入に驚いたものの、自由なカリキュラムで生徒に向き合えた。昆虫ばかりでなく植物にも関心を寄せ、一人黙々と観察と研究を行った。彼は十九世紀初頭に生まれ、二十世紀初頭の第一次大戦が終わった頃に亡くなっている。当時の教師はそれほど収入がなかったらしい。観察と研究の結果をまとめた科学論文をいくつか書き、専門家には多少認められながらも、身の回りや世間では認められず、昆虫観察する姿から変人扱いされたらしい。一時は大学教授になることも夢見たが、当時の大学教授もあまり高級ではなかったらしく、財産がなければ勤まらなかった。

定収入を補ったのは科学の教科書や実用向けの本を書いて得た収入。

ファーブルが五十五歳でやっと手に入れた南フランスプロバンスの荒れ地と粗末な家、それが彼の終焉の地。耕地には向かないが、そこに二千種の草木を育て、それによりいろんな虫が集まり、格好の観察場所になった。それまでもいくつかの土地を転々しているが、いずれも自然が豊かな田舎町。外面的には派手さはないが、そこで得られた知識や研究成果は豊かなものであり、楽しいものであった。家族との関係も悪くなく、彼にとっては幸せな人生だったのではないか。

昔、断片的に読んだだけの『昆虫記』を読んでみたい気もするが、全十巻はかなりの分量。昆虫よりは人間ファーブルに興味があるなら、やはり完訳で読んだ方がいいのだが。