中部電力創立五十周年を記念して、2001年に設立された教育振興財団が発行している広報誌「えるふ」に連載されていた河合氏と各界の有名人との対談の中から六つを集めた本。
第一章は建築史家藤森照信さんと、「箱庭の中に人類史がある」
第二章はイラストライター南伸坊さんと、「ユングの高笑い」
第三章は、スポーツライター玉木正之さんと、「心と体の境界」
第四章は、自らが有名絵画の登場人物になるという表現を追求する美術家、森村泰昌さんと、「人間だけが〈自分病〉を持つ」
第五章は、雅楽の楽器、笙の演奏家の宮田まゆみさんと、「宇宙のハーモニーを聴く」
第六章は、児童文学作家、今江祥智さんと、「大人のつとめ」
一番興味を持ったのは、最初の対談。箱庭について。日本人には下地があるから盛んになったが、箱庭を見てのコミュニケーションが、あまり言語化されてない。日本人には直感と結果だけで、方法論がない。箱庭も見るだけでなく言語化されないと人に伝わりにくい。建築も同じで、精神的なトラブルを抱えたものの作品の方がインパクトがある。ただそれを評価する時は慎重にしないといけない。患者が箱庭を作るとき、命がけでつくっているから、分析者も命がけで取り組まないといけない。箱庭は患者のイメージで作られるから、下手すると悪いイメージがエスカレートする場合もある。それを止めるか続かせるかの判断は難しい。個々のケースで判断するしかない。
箱庭は遊び心もあるが、想像力が発酵している過程でもあるから、途中で言語化したりすると駄目になる。成熟するまで待ってから評価した方がいい。夢もイメージで、練習すれば夢と作為が半々なアクティブ・イマジネーションを見ることができるようになる。それが創造の大事なこと。意識と無意識の中間にあるものが芸術活動では大切。夢の中では慣れ親しんだ風景は割りと安定している。自分の居場所をそうした原風景に求めているのかもしれない。その意味で、都市の光景とか歴史的な建築財産は大事なもの。健忘したり記憶をなくすと、アイデンティティが消える。それを回復しようとするのが妄想なのかもしれない。懐かしいという気持ちは後ろ向きだと否定されてきたが、これこそが人間しかもてない感情ではないのか。原風景をもてない子は情緒不安定になる。
第一章は建築史家藤森照信さんと、「箱庭の中に人類史がある」
第二章はイラストライター南伸坊さんと、「ユングの高笑い」
第三章は、スポーツライター玉木正之さんと、「心と体の境界」
第四章は、自らが有名絵画の登場人物になるという表現を追求する美術家、森村泰昌さんと、「人間だけが〈自分病〉を持つ」
第五章は、雅楽の楽器、笙の演奏家の宮田まゆみさんと、「宇宙のハーモニーを聴く」
第六章は、児童文学作家、今江祥智さんと、「大人のつとめ」
一番興味を持ったのは、最初の対談。箱庭について。日本人には下地があるから盛んになったが、箱庭を見てのコミュニケーションが、あまり言語化されてない。日本人には直感と結果だけで、方法論がない。箱庭も見るだけでなく言語化されないと人に伝わりにくい。建築も同じで、精神的なトラブルを抱えたものの作品の方がインパクトがある。ただそれを評価する時は慎重にしないといけない。患者が箱庭を作るとき、命がけでつくっているから、分析者も命がけで取り組まないといけない。箱庭は患者のイメージで作られるから、下手すると悪いイメージがエスカレートする場合もある。それを止めるか続かせるかの判断は難しい。個々のケースで判断するしかない。
箱庭は遊び心もあるが、想像力が発酵している過程でもあるから、途中で言語化したりすると駄目になる。成熟するまで待ってから評価した方がいい。夢もイメージで、練習すれば夢と作為が半々なアクティブ・イマジネーションを見ることができるようになる。それが創造の大事なこと。意識と無意識の中間にあるものが芸術活動では大切。夢の中では慣れ親しんだ風景は割りと安定している。自分の居場所をそうした原風景に求めているのかもしれない。その意味で、都市の光景とか歴史的な建築財産は大事なもの。健忘したり記憶をなくすと、アイデンティティが消える。それを回復しようとするのが妄想なのかもしれない。懐かしいという気持ちは後ろ向きだと否定されてきたが、これこそが人間しかもてない感情ではないのか。原風景をもてない子は情緒不安定になる。