ようやく、最後まで読めた。前には、エリクソン夫人が介護施設にいた夫をなくしたところまで読んだが、後半では、長年連れ添った夫をなくし、意気消沈していた婦人をアンダーソンが励ますところから始まる。
うつになったら、体を動かし行動すること。夫人自身がそう話していた。感情を抑えるのではなく、全部解放してまるごと感じることが必要。我にかえった夫人は夫との共同作業を完成させ、より高い次元を目指すのが仕事だと気づく。エリクソンの主著であるライフサイクルでは、老年期の部分が不備であると。実際に老年期を生きてみると、もうひとつか二つの段階があるようだと。これが晩年の夫人をして第九段階の設定をさせ、主著の増補版の出版に至る。
アンダーソンは同性の友人を招き、エリクソン夫人も誘い、アラザシウォッチングに出掛けて、生き返った気分になる。夫人は主著の増補の執筆に、アンダーソンは海辺での一年を振り返った手記の執筆に励む。
いとこに誘われ、夫人に後押しされて、アンダーソンはインカの古道を歩くトレッキングに旅立つ。身体を鍛え、それと一体になる。それにより新たなライフサイクルに向かうことになる。
家族と離れて独り暮らしをしたこと、マチュピチュに旅だったことについて講演を頼まれるアンダーソン。
夫婦の共同作業の完成でもある増補版出版のためにニューヨークに旅立つ夫人は、アンダーソンを運転手として雇い、ついでに彼女を出版社に紹介する。
九十四歳の誕生日を迎えた夫人のもとには、老若男女様々な人々がお祝いにかけつける。九十代でありながらカラフルな女性、まるで踊るかのようにかろやかに、客の間を移動する夫人。
やがて体力が劣ろえ、記憶も落ちた夫人はかつて夫がいた施設に入り、死を迎える。
中年を迎え、子供たちも巣立ち、夫との間にすきま風を感じたアンダーソンは海辺の別荘で独り暮らしを始める。しかしなかなか考えがまとまらず焦っているときに出会ったのが、九十代のエリクソン夫人。彼女の話を聞いて人生を省み、将来が見えるようになったアンダーソンは、夫人を人生の師とも親友とも思うようになる。そんな二人の女性の関わりを描いた作品。
女性の生き方を描いたものだが、なかなか興味深い。エリクソンのライフサイクル論も読んでみたくなる。
うつになったら、体を動かし行動すること。夫人自身がそう話していた。感情を抑えるのではなく、全部解放してまるごと感じることが必要。我にかえった夫人は夫との共同作業を完成させ、より高い次元を目指すのが仕事だと気づく。エリクソンの主著であるライフサイクルでは、老年期の部分が不備であると。実際に老年期を生きてみると、もうひとつか二つの段階があるようだと。これが晩年の夫人をして第九段階の設定をさせ、主著の増補版の出版に至る。
アンダーソンは同性の友人を招き、エリクソン夫人も誘い、アラザシウォッチングに出掛けて、生き返った気分になる。夫人は主著の増補の執筆に、アンダーソンは海辺での一年を振り返った手記の執筆に励む。
いとこに誘われ、夫人に後押しされて、アンダーソンはインカの古道を歩くトレッキングに旅立つ。身体を鍛え、それと一体になる。それにより新たなライフサイクルに向かうことになる。
家族と離れて独り暮らしをしたこと、マチュピチュに旅だったことについて講演を頼まれるアンダーソン。
夫婦の共同作業の完成でもある増補版出版のためにニューヨークに旅立つ夫人は、アンダーソンを運転手として雇い、ついでに彼女を出版社に紹介する。
九十四歳の誕生日を迎えた夫人のもとには、老若男女様々な人々がお祝いにかけつける。九十代でありながらカラフルな女性、まるで踊るかのようにかろやかに、客の間を移動する夫人。
やがて体力が劣ろえ、記憶も落ちた夫人はかつて夫がいた施設に入り、死を迎える。
中年を迎え、子供たちも巣立ち、夫との間にすきま風を感じたアンダーソンは海辺の別荘で独り暮らしを始める。しかしなかなか考えがまとまらず焦っているときに出会ったのが、九十代のエリクソン夫人。彼女の話を聞いて人生を省み、将来が見えるようになったアンダーソンは、夫人を人生の師とも親友とも思うようになる。そんな二人の女性の関わりを描いた作品。
女性の生き方を描いたものだが、なかなか興味深い。エリクソンのライフサイクル論も読んでみたくなる。