タイトルに目が止まり、興味を覚えた作品。なかなかよかった。

詩集の出版をする小さな出版社に再就職したばかりの四十になる今泉桜子が、病で入院した社長に代わり、ベテランの詩人藤堂に、原稿の依頼をするところから始まる物語。

ファッション雑誌の編集者としてベテランだった今泉は、年下のカメラマンと別れ、シングルマザーになったものの、幼い我が子を亡くして、仕事を休んでいた。詩など素人ながら、間に合わせの仕事のつもりで入ったのに、いきなりベテラン詩人の担当に。

かつては教科書に載る詩も書いた藤堂だが、最愛の妻を亡くして以後、詩が書けなくなり、十数年。病床の妻の世話もせず、詩の素材にしたことへの自己嫌悪と処罰が原因か。

藤堂の言うままに金を貸し、パチンコ、競馬、キャバクラにつきあう今泉。最初は反発していたのに、詩人藤堂に興味を覚え、なんとか復活させたくなる。
藤堂は詩の書き方を教える教室の講師も勤めている。四クラスを受け持ち、その報酬で暮らしている。その一つの教室に参加する五十代の主婦まひろも、この物語の話し手の一人。成績優秀で明るい女子高生だった娘クルミが、クラスメイトの自殺未遂で変わる。その子の日記にクルミの名前があったことから、自殺の原因だと疑われ、誰とも口を聞かなくなってしまった。娘の部屋に藤堂の詩集があったことから、教室に通い始めたまひろ。クルミの疑いは晴れたが、言葉への信頼は戻らない。藤堂に言われて作った詩、それがクルミを刺激し、生還の糸口になる。

言葉は時代とともに、その意味が、伝える内容がうすまり、意味がなくなっている。若者が歌う歌詞にあふれる愛。声ではなく、言葉への信頼を取り戻すことが、すべての鍵なのかもしれない。受け売りの言葉を使うのではなく、自身の心で吟味して選び出した言葉、それを使って書かれた詩。先取りしてしまえば、ラスト近くに詩を書く意欲を取り戻した藤堂が、かつて今泉に問われた質問、詩とは何か?に答える。それは心の内側に降りていくための階段だと。その詩を読んだものが各自の心のうちに降りていき、何かを発見する。それがその人の言葉となる、そんな言葉の織物が詩なんだと。

世界と人との間に隠されている言葉を見つけ出し、それを育てて、詩にする。言葉を産み出す神様が藤堂にとっては、今泉だと気づいたと、藤堂は告げる。
私も詩は苦手で、どこまでわかったのかは心もとないが、それでもなんかいいなと思う。