祝日で休みだとは知っていたが、はて何の日だったか?昭和の日。そう、昭和天皇の誕生日だったか。
仕事は休みだが、今日は隣、今は向かいと言うべきか、の法事。一周忌。昨年の五月一日に亡くなり、連休は葬儀でつぶれた。もう一年か、早いような気もする。私の自宅は大工だった故人により建てられた。私が二十歳の頃に改築されたが、その時の棟梁だった。隣人というばかりでなく、同じ本家から別れた新家同士で、葬儀の手伝いには一緒に駆り出されたものだ。
築四十年あまり、私の自宅もかなりくたびれてきた。裏を川が流れているため、川岸付近の陥没がひどいし、建物も傾いている。座敷回りの戸や廊下のガラス戸も滑りが悪く、きちんとしまらない。最近は雨漏りがひどかった。隣が棟梁では、修理も隣に頼まざるを得ず、何ヵ月も何年もヒマを見て、あちこち手直しはしてくれたが、どれも直らなかった。結局、惨憺たる様子の玄関のまま放置。棟梁がガンの手術を受け、胃を半分以上切除したとか。それでも一年くらいは食欲旺盛で元気そうに見えたが、しばらく顔を見ないと思っていたら、ちょくちょく出掛けていた畑にも億劫になり、半ば寝たきり。人伝にそれを聞いて訪ねてみると、馬のように長い顔がげっそりしていた。それからまもなく死去。
大工ではあったが、夫婦とも養子で、もともとあった田んぼも畑も世話していた。稲刈りには兄弟や子供総出でかかっていた。
私の町内の古くからの家は皆同じお寺の檀家。各地区の檀家は様々な奉仕をしているが、そのひとつに立花がある。寺の行事の際の生け花を立てる。それを長年勤めてきたのが故人。だから住職とも顔馴染みで、葬儀にも今日の一周忌にも住職自らが参拝に来る。
去るもの日々に疎し、というが、確かにこの一年、故人のことはあまり頭に浮かばなかったな。その思い出を喚起し、新たに向かい合うためには、法事と言うものがあるのもいいかもしれない。
昔は僧のお経を痛む足をこらえながら、聞いているだけだったのが、最近は変わった。正座の必要はない、楽な姿勢でよいという。しかし、最近の私は胡座かいて座っていることさえ辛い。腰が痛い。前屈みになり勝ちだと母親には注意されるが直らない。
宗派によって、住職によって違うのかもしれないが、うちの寺では、みんなで唱和することを奨励する。黙って意味もわからない言葉の羅列を聞いているよりは、目で見て声に出して耳で聞く方が、気分が違う。
仕事は休みだが、今日は隣、今は向かいと言うべきか、の法事。一周忌。昨年の五月一日に亡くなり、連休は葬儀でつぶれた。もう一年か、早いような気もする。私の自宅は大工だった故人により建てられた。私が二十歳の頃に改築されたが、その時の棟梁だった。隣人というばかりでなく、同じ本家から別れた新家同士で、葬儀の手伝いには一緒に駆り出されたものだ。
築四十年あまり、私の自宅もかなりくたびれてきた。裏を川が流れているため、川岸付近の陥没がひどいし、建物も傾いている。座敷回りの戸や廊下のガラス戸も滑りが悪く、きちんとしまらない。最近は雨漏りがひどかった。隣が棟梁では、修理も隣に頼まざるを得ず、何ヵ月も何年もヒマを見て、あちこち手直しはしてくれたが、どれも直らなかった。結局、惨憺たる様子の玄関のまま放置。棟梁がガンの手術を受け、胃を半分以上切除したとか。それでも一年くらいは食欲旺盛で元気そうに見えたが、しばらく顔を見ないと思っていたら、ちょくちょく出掛けていた畑にも億劫になり、半ば寝たきり。人伝にそれを聞いて訪ねてみると、馬のように長い顔がげっそりしていた。それからまもなく死去。
大工ではあったが、夫婦とも養子で、もともとあった田んぼも畑も世話していた。稲刈りには兄弟や子供総出でかかっていた。
私の町内の古くからの家は皆同じお寺の檀家。各地区の檀家は様々な奉仕をしているが、そのひとつに立花がある。寺の行事の際の生け花を立てる。それを長年勤めてきたのが故人。だから住職とも顔馴染みで、葬儀にも今日の一周忌にも住職自らが参拝に来る。
去るもの日々に疎し、というが、確かにこの一年、故人のことはあまり頭に浮かばなかったな。その思い出を喚起し、新たに向かい合うためには、法事と言うものがあるのもいいかもしれない。
昔は僧のお経を痛む足をこらえながら、聞いているだけだったのが、最近は変わった。正座の必要はない、楽な姿勢でよいという。しかし、最近の私は胡座かいて座っていることさえ辛い。腰が痛い。前屈みになり勝ちだと母親には注意されるが直らない。
宗派によって、住職によって違うのかもしれないが、うちの寺では、みんなで唱和することを奨励する。黙って意味もわからない言葉の羅列を聞いているよりは、目で見て声に出して耳で聞く方が、気分が違う。