明日からはまた仕事。予定の五冊のうち、四冊をなんとか読了。

残るエンデの解説書一冊は半分くらい目を通した。借りるときは読みがいがありそうな本だと思ったのに、作品解説にはいると、なんか読みづらい。やはり作品を一読してからの方がしっくりする気がする。

エンデ作品の概観と生い立ちまでは、きちんと読んだものの、そのあとの作品論でつまずく。今はもういいかな。

作品の意味や解釈にこだわりすぎると、意識ばかりが邪魔して、本を読むことが「無用の用」ではなくなる。エンデの作品には、いたるところに深い洞察と英知を湛えているために、そうした罠におちいりやすい。子供のように、われを忘れて没頭すべきだ。

著者はそんなことを書いていた。

エンデの文学は大人の文学と子供の文学の境界を取り払っただけではなく、作者と読者の境界も取り払い、両者が互いに自由な立場で出会うことができる開かれた空間をつくりだしている。

大人と子供の文学を分類するようになった背景には、ヨーロッパ近代の主知主義、客観的合理的な考え方がある。人間的なものの見方と尺度を忘れ、ポエジーの源泉である「幼ごころ」を失っている。未分化の生、カオスのうちに潜む豊かな内容を感じ取れなくなっている。

そうした風潮のなかで、エンデは「こころをもって」こころに語りかける文学、子供と大人が共同参加できるような文学を取り戻すことを目指した。

それが現代文学のゆきづまりを憂慮していた人々に、ひとつの活路を見いだし、エンデ文学が注目されているのだろう。

人間の意識を主客に二分するのではなく、内面と外面はひとつのものの裏表だとエンデは述べている。

あれこれ興味深い内容なんだが、考え方を聞くだけではなく、作品自体を読み、楽しみ、その上で、そうしたエンデの思いを読み取らないといけないと思う。

エンデの作品『モモ』『はてしない物語』の二作はなんとか読みたいものだ。児童文学のデビュー作『ジム・ボタンの機関車大旅行』も読んでみようか。後期の短編集『鏡のなかの鏡』。そこまで読めるかどうか?

明日は、新たに借りる本のなかに一冊はエンデを借りようか。