なんとか最後まで目を通してみたものの、正直よくわからなかった。著者が何を問題にしているのか?それがわかれば作品の理解力は増すのだとしても、そんな必要があるのだろうか?

著者は東大大学院の英文学教授。しかも、『完全版赤毛のアン』やトールキンの翻訳もされている。

そうした熟知した作品を取っ掛かりにして、原作を読んで発見できる隠された意味を教えたい、英文学の素晴らしさを伝えたい、読むにも様々なレベルがあり作品が持つ多様な意味を知ってもらいたいという気持ち。さらには英文学の読解に知っておくと便利な概念を具体的な事例で教えたい。

教養学部一年生に対して、ある冬に行ったゼミを本にしたもの。

最初に提示されるなぞとして、冒険に参加することになったホビットがなぜ、「押し入り強盗」等という呼ばれ方をしたのか?

村上訳の赤毛のアンでは最後の方に大きく省略された部分がある。村岡さんはなぜ省略して訳したのか?さらに原作者のモンゴメリはそんなことをなぜ書いたのか?

『ジェーン・エア』はリアル小説のはずなのに、中心と言える箇所で超自然的な体験を書いたのか?

ともすると作品と作家が同一視されてしまい、フィクションである作品の分析に作家の事情を持ち出してしまい勝ちだが。

文学の問題は作品そのものの読解から論理的に導き出すものであり、そのプロセスの楽しさを学生たちに伝えたい。そんな著者の思いで行われた授業を記録したもの。

やはり読んだことがある作品を扱っているのがわかりやすく興味深い。前半で取り上げている児童文学赤毛のアンとホビットは発見もあり面白かったが。
英文学の代表作高慢と偏見、大いなる遺産、ジェーン・エアについての論考はいくぶんわかりづらかった。

原文を読む機会も力もない私には、そんなことわからないよ、翻訳に反映できないようなこと言われても仕方ないよ。そんな感想もあったが、文学を読むのはただ感情移入して、主人公と共に動くだけではなく、作家の意図も多少は考えながら読んでみた方がいいかなという思いもした。

赤毛のアンの最初、アンとマシューの出会いの駅の場面。駅長のことなんか、頭から消えていたが、本文を注意深く読めば、駅長の心理があざやかに描かれている。この指摘は印象的だった。なぜこの言葉が?場面が書かれたのか?これからはそんなことも気にして読んでみようか