作家松本さんが「赤毛のアン」の新たな翻訳をしようとして、原作を読んだ結果、従来の翻訳では明らかになっていないことに気づいた。
「赤毛のアン」はたんなる少女小説ではない。もちろん主人公の魅力は否定できないが、時代や舞台を無視して、童話のような読むのが正しいのたろうか?時代や社会的背景を知って読んだら、魅力は減るのだろうか?味わいが変わるのではないか。
実際に作品に描かれたエピソードから、作品の時代は、1880年代から1890年代はじめだと考えられる。これはアンの描かれた年齢と同じ頃の作者モンゴメリの少女時代に重なる。さらに後に公開された日記を見ると、同じようなエピソードが、アンにもあることがわかる。ただそれは自伝小説ではなくて、エピソードを利用しただけ。
現在では「赤毛のアン」を読むと、十九世紀末のカナダ東海岸の白人社会の様子がわかると注目されている。それほど作品のなかには当時の時代状況や社会情勢を表現する文章が書かれている。だからそうした知識を知って読むと、より深く楽しめると松本さんは述べる。そうした時代背景を調べて書かれたのが第一章。
第二章では数多く登場する花や木について、その形状や花言葉、作品での使い方にまでふれて考究している。
そしてモンゴメリを知る資料として、刊行された日記や書簡を引用しながら、彼女の生涯をたどる第三章。
第四章ではモンゴメリが生まれてから死ぬまでの間に過ごした各地を実際に旅して、考えたこと、知ったことについてのべている。
作品だけではわからない、その背景について、物語の時代や社会、作者の姿などに手を伸ばした研究成果をのべた本。
いろいろ驚くことや発見があり、興味深い。松本さんが訳したアンも読んでみたくなる。集英社文庫にあるようだが、今は手にはいらないのか?最近同文庫で新訳を見かけた。
「赤毛のアン」の作品にはシェイクスピア、聖書、当時の英文学空の引用が数多くあり、それらはアンに重層的な構造を与えている。松本さんは翻訳の注にもそれを折り込み、さらにそれだけの本も出している。
さらに当時のカナダの政治状況や宗教事情を知れば、より深く登場人物の言葉がわかるという。カナダのそうした知識に疎かったので、目を開かされた。
なかなか読み概のある本だった。アンに関してはもう少し読んでいこう
「赤毛のアン」はたんなる少女小説ではない。もちろん主人公の魅力は否定できないが、時代や舞台を無視して、童話のような読むのが正しいのたろうか?時代や社会的背景を知って読んだら、魅力は減るのだろうか?味わいが変わるのではないか。
実際に作品に描かれたエピソードから、作品の時代は、1880年代から1890年代はじめだと考えられる。これはアンの描かれた年齢と同じ頃の作者モンゴメリの少女時代に重なる。さらに後に公開された日記を見ると、同じようなエピソードが、アンにもあることがわかる。ただそれは自伝小説ではなくて、エピソードを利用しただけ。
現在では「赤毛のアン」を読むと、十九世紀末のカナダ東海岸の白人社会の様子がわかると注目されている。それほど作品のなかには当時の時代状況や社会情勢を表現する文章が書かれている。だからそうした知識を知って読むと、より深く楽しめると松本さんは述べる。そうした時代背景を調べて書かれたのが第一章。
第二章では数多く登場する花や木について、その形状や花言葉、作品での使い方にまでふれて考究している。
そしてモンゴメリを知る資料として、刊行された日記や書簡を引用しながら、彼女の生涯をたどる第三章。
第四章ではモンゴメリが生まれてから死ぬまでの間に過ごした各地を実際に旅して、考えたこと、知ったことについてのべている。
作品だけではわからない、その背景について、物語の時代や社会、作者の姿などに手を伸ばした研究成果をのべた本。
いろいろ驚くことや発見があり、興味深い。松本さんが訳したアンも読んでみたくなる。集英社文庫にあるようだが、今は手にはいらないのか?最近同文庫で新訳を見かけた。
「赤毛のアン」の作品にはシェイクスピア、聖書、当時の英文学空の引用が数多くあり、それらはアンに重層的な構造を与えている。松本さんは翻訳の注にもそれを折り込み、さらにそれだけの本も出している。
さらに当時のカナダの政治状況や宗教事情を知れば、より深く登場人物の言葉がわかるという。カナダのそうした知識に疎かったので、目を開かされた。
なかなか読み概のある本だった。アンに関してはもう少し読んでいこう