先程読んだ東京の町外れに住んでいた少年が、母親のふるさとで過ごした夏休みの日々の思い出や不思議な出来事を綴った物語。

東京から列車で二時間、バスに乗り継いで一時間。神社前の停留所から歩いて半時間足らず。母が生まれた村には祖父、母の兄にあたる伯父夫婦と、その子供たち、二人の年上のいとこがいる。

バス停のある氏神の神社の横の竹藪にはきっつぁんと呼ばれる伯父くらいの男の人が住んでいて、リヤカーで荷物だけでなく、人をものせる運送屋で稼いでいる。

伯父の家への近道には小さな祠と鳥居がある岡、くぐつね山を越えていく。一度東京に住む母の姉たる伯母につれられたことがあった。そのときなぜか伯母は素通りしたほころを何度も行きつ戻りした。キツネに化かされたように。神のたたりだったか。

田舎の農村には神が今も生きている。住民は意識しないで、頭を下げたり、禁じられたことはしない。それでも時に無視するものがいると、たたるようだ。
少年にはそんな不思議な存在が見える特質でもあるのか、いくつもの不思議を見た。白いキツネ、代わりに釣りをしてくれる地蔵様、今は亡き先祖たち、座敷わらし、カワイタチヒトダマ。

母の祖父は次男で、分家。近くに本家があるが、跡取りは戦死し、次男が相続したものの、昔からのしきたりや神などを無視しがちで、次第に落ちぶれていく。村で最初に買った軽トラは神隠しにあい、分家に田畑を売ることにも。長年住み着いていた座敷わらしも出ていく。少年はそれとすれ違った。新たに住み着いたのが分家の伯父の家。座敷わらしがいるから栄えるのではなく、栄える家に住み着くのだと。伯父は次第に羽振りがよくなり、本家の出入りする農協ではなく、少年の父の知り合いの銀行で融資を受けて、ついに本家を買い取り、自らが本家となる。さらには村会議員にも乗り出す。

神などの不思議な存在にも通じてるようなきっつぁんが印象的だな。何でも屋をしてるだけでなく、目には見えない村を支えるものと繋がった存在。あるいは古い神なのかも。

少年の体験話から伝説を創作してるような祖父だが、きっつぁんによればちゃんと辻褄はあってるらしい。

肝試しで近くの村から応援に来てた青年たちが東京生まれの少年から反対に脅されて、恥を掻いた話は痛快だな。

東京での生活にも、母のふるさとの田舎でも、豊かな経験をして来たからこそ、斉藤さんはあれだけ多くの作品を書けるのかもしれない。うらやましい