ようやく読み始めてみたものの、少し勘違いしていた。私はてっきり田辺さんが、江戸時代の商家のおかみさんの旅日記をもとに、小説にしたものだと思っていた。

実際はなんと呼べばいいのかわからないが、旅日記に沿いながら、そこに出てくる事物や背景について、田辺さん自身の体験を交えて、解説したもののようだ。ところどころに、おかみさんたちの会話を九州弁で入れているのは、創作なんだろう。日記や歌を読み込んで想像したものだから、まったくの作り事ではないのだろうが。

最初に旅日記の作者の説明があり、旅仲間たちが所属していたらしい歌の師匠についての説明が長々とあり、最初から読む気が削がれてしまった。

楽しい旅の話でも読むつもりでいたのだが。最近、江戸の女流文学のレベルの高さが見直されているとか、さらに地方の才女に日が当たり始めたのを面白いと思う田辺さん。そして旅日記作者のおかみさんたちは歌人でもあり、その歌が紹介されたり、彼らが師事した歌人、国学者の先生の説明がかなり詳しくなされた後に、ようやく旅が始まる。

恥ずかしいが、歌とか俳句、あるいは詩というものが、私はよくわからない。上手い下手も、良し悪しもわからない。だから次々と提示されるおかみさんたちの歌に、正直閉口してしまった。こんな調子だと、最後まできちんと読みのは無理かなと。それで、旅の記述部分だけをざっと拾い読み。

往路は北九州の底井野(中間市)を出て、小郡、上関、宮島、鞆の浦、丸亀、赤穂、明石、兵庫、大阪、奈良、吉野、伊勢、津、四日市、(熱田)宮、妻籠、塩尻、松本、善光寺、追分、高崎、前橋、日光、宇都宮、古河、江戸。

復路は、江戸、鎌倉、甲府、上諏訪、豊川、岡崎、宮、関ヶ原、京都、大阪、丸亀、伊予、底井野。

時は江戸時代後期、天保12年、1841年。50歳過ぎの商家のおかみさんたちが5ヶ月間、百四十四日、八百里の旅をしている。おかみさんが四人と下男が三人の七人。うち二人のおかみさんが旅日記を書き、現存する。

山陽道の陸路ではなく、瀬戸内海航路にて大阪まで行ったようだ。途中上陸して金平参りなどをしたり、二手に別れたりもしている。必ずしも本街道ばかりを歩いていないことや、日記に密かに旅立つとあることから、道中手形のない抜け参りだったのかもしれないとか。

すごいなと思う一方、昔の人をバカにしてはいけないとも思う。