昼間はともかく夜になると冷えてきた。我慢できずに、電気ストーブを出してくる。雪が降るまでは我慢しようかと、痩せ我慢していたが。居間のこたつは今月に入ってから設置。なにせ夜は私の老いた母親が一人テレビを見ているから。
明日はいつ頃雨になるのだろうか?予報では深夜に一雨、その後、9時過ぎから夕方まで雨らしい。防災訓練の始まる時間には降ってない。本部がどう判断するのか?中止になれば、またゆっくり本が読めるのだが、と。
昼間には鎌田東二さんの『古事記ワンダーランド』と、長部日出雄さんの『「古事記」の真実』を拾い読みしたものの、期待外れというか、私にはしっくりこなかった。古事記への入門として手頃かなと思って、借りたのだが。
昔から散文に比べて、韻文が苦手。いわゆる詩とか短歌とか俳句に興味はありながら、まともに読めたことがない。古事記にはかなり多くの歌が収録されていて、鎌田さんは序章で、古事記を新世紀叙事詩とか歌の力ということを言っている。世界各地の神話をも取り上げて、日本神話との共通点、違うところを考察しているが、そこでも歌が取り上げられている。
じっくり読めばそれなりに理解できるのだろうと思いながらも、歌に接すると、ついしり込みしてしまう。あるいは歌を文字で読むから没入できないのかもしれない。歌えば違うかもしれない。好きなアーティストの気に入りの曲なら私も時に歌う。鎌田さんは神主もしているし、神道ソングライターでもあり、文字として読んでも、歌としてとらえる感性があるのかもしれない。国学者の本居宣長が古事記の研究をしたのも、源氏物語を研究し、もののあわれの世界を探求していたから、歌物語的な古事記に共鳴するものを感じたのだろう。鎌田さんはそう述べる。古事記の研究には、古くから伝わった古事記をそのままテキストにして、内在的に理解しようとする本居などの立場と、編纂の経緯を批判的に見る視点の二つの研究があるそうだ。さらにそれらの中間に折口信夫の民俗学的な読みがある。古事記には当時伝承されてきた歌謡や物語や儀礼を含むテキストだととらえる。古事記の持つ歌謡性や演劇性が本質だととらえる。鎌田氏はこの二番目と三番目の立場、批判的な目と民俗芸能史的な観点を共に踏まえて見ているらしい。つまり本居流の解釈には批判的なわけだ。
今の私にはどれがどうとは言えないが、また何か読んでみたい
明日はいつ頃雨になるのだろうか?予報では深夜に一雨、その後、9時過ぎから夕方まで雨らしい。防災訓練の始まる時間には降ってない。本部がどう判断するのか?中止になれば、またゆっくり本が読めるのだが、と。
昼間には鎌田東二さんの『古事記ワンダーランド』と、長部日出雄さんの『「古事記」の真実』を拾い読みしたものの、期待外れというか、私にはしっくりこなかった。古事記への入門として手頃かなと思って、借りたのだが。
昔から散文に比べて、韻文が苦手。いわゆる詩とか短歌とか俳句に興味はありながら、まともに読めたことがない。古事記にはかなり多くの歌が収録されていて、鎌田さんは序章で、古事記を新世紀叙事詩とか歌の力ということを言っている。世界各地の神話をも取り上げて、日本神話との共通点、違うところを考察しているが、そこでも歌が取り上げられている。
じっくり読めばそれなりに理解できるのだろうと思いながらも、歌に接すると、ついしり込みしてしまう。あるいは歌を文字で読むから没入できないのかもしれない。歌えば違うかもしれない。好きなアーティストの気に入りの曲なら私も時に歌う。鎌田さんは神主もしているし、神道ソングライターでもあり、文字として読んでも、歌としてとらえる感性があるのかもしれない。国学者の本居宣長が古事記の研究をしたのも、源氏物語を研究し、もののあわれの世界を探求していたから、歌物語的な古事記に共鳴するものを感じたのだろう。鎌田さんはそう述べる。古事記の研究には、古くから伝わった古事記をそのままテキストにして、内在的に理解しようとする本居などの立場と、編纂の経緯を批判的に見る視点の二つの研究があるそうだ。さらにそれらの中間に折口信夫の民俗学的な読みがある。古事記には当時伝承されてきた歌謡や物語や儀礼を含むテキストだととらえる。古事記の持つ歌謡性や演劇性が本質だととらえる。鎌田氏はこの二番目と三番目の立場、批判的な目と民俗芸能史的な観点を共に踏まえて見ているらしい。つまり本居流の解釈には批判的なわけだ。
今の私にはどれがどうとは言えないが、また何か読んでみたい