なかなか味わい深いエッセイだった。単なるエッセイではなくて、全体を結ぶ糸があり、各編に繋がりがある。小説のような趣もあるエッセイ

吉田さんは1962年生まれというから、私と10年違いか。このエッセイは2010年4月から1年、 WEBちくまに連載されたもの

48歳になり、贅肉のついた自分の体から、若い頃の自分を思い出す。ビートルズが好きになったのは音楽というよりはつむじ曲がり、へそ曲がりが好きだったから。レノンよりは左利きのポールに親近感を抱いたと。左利き用のギターを弾いていたし、バンド活動もした

尊敬する作家向田さんが『父の詫び状』を書いた年齢に吉田さんはなったわけで、最近は右利きになってるが、若い頃の左利きや体型に戻ろうと。向田さんがあとがきに『銀座百点』に連載を頼まれたことが書いてある。吉田さんも先日そこへ記事を書いていた。
曾祖父のことを。吉田さんの本籍は曾祖父のすんでいた銀座の木挽町。歌舞伎座の裏口付近で曾祖父は鮨屋をしていたとか。大阪から来て、一代限りの店で詳しいことはわからない。吉田音吉という名前から音鮨と称した

新しい体重計を購入して計ったら、12キロの減量が必要だと判明。それには歩くのが一番だと回りから言われる。曾祖父のいた木挽町までが奇しくも12キロ。ならばそこまで歩いてみようか

そんな思いから始まった現在から過去への散歩、自分から曾祖父へと遡る。さらにその時々の思い出や回想を交えて話は進む。

吉田さんの小説はまだ2、3冊しか読んでないが、いいなと思っていた。このエッセイを読んでいて、自分と重なる部分をいくつも感じた。酒が飲めない下戸で甘い菓子パンが好き、だから当然太るわけだが。本が好きで、友達付き合いよりは一人で本を読んでる方が楽しい

私の方が年上なんだが、都会と田舎の違いか音楽で言えば、私はビートルズではなく、それを真似てアメリカで作られたモンキーズに中学生の頃憧れた。楽器は弾かなかったが。
吉田さんは小説を書くと共にレイアウトなどのデザインもしてる。美大受験に落ちて、専門学校に進み、卒業前からデザイン会社で仕事していたという。奥さんも同業で、夫婦での仕事も

エッセイの最後にはついに曾祖父のいた木挽町まで歩いていく。さらにあとがきでは、うかつにも母方の祖父や曾祖父がいたことに気づく。無縁だと思っていた東北だが、母方の祖母は福島だった。いつかそちらのことも話始めるのかな