ようやく最後まで目を通した。正直、うらやましい。どちらかと言えば出不精でもあり、経済的にも、自由に旅に出ることもできないものの、かといって行きたいところがあるわけでもないが、目的もなく、気になるところへ行けるというのはうらやましい

目次にはタイトルが22並んではいるが、ひとつの旅のことが、ニ、三章にも続いているところもあるし、はじめの目的に加えて、気分次第で他にも足を伸ばしたりしている。だから22の旅でもないが

最初は花袋の書いている兼好の墓を目指して伊賀の国へ

ついで戦前の小学校教科書に出ていた東京から青森へ列車で行った少年の話から、青森の外の浜が目指す地になる。芭蕉、菅江真澄、あるいは謡曲を引用して、さらには三内丸山遺跡にまで筆は進む

少年時代以来、近くにありながら行かなかった江ノ島が、その次。
著者が若い頃から好きだった蕪村。その縁で丹後の宮津に赴く。そして天橋立。

著者の父親は和歌山の出身ということから、和歌山での漱石の講演、作品を縁にして、和歌の浦に向かう

少年時代友人の避暑に付き合って過ごした、那須の塩原が次の目的地。明治の文豪たちの旅の記録を引用しながら訪ねてみると今は。

昔朝日新聞に勤めていた頃、新たな風土記の企画があり、著者は岡山県を担当した。岡山ゆかりの有名人は数あれど、選んだのは竹久夢二。夢二を訪ねての牛窓への旅

さらに盆栽村を訪ねて大宮へ。盆梅を見に長浜へ行く途中、京都に立ち寄り、日野の鴨長明の方丈跡へ足を伸ばす。たまたま手に入れた画文帳から作者、江戸期の文人画家竹田を訪ねて、豊後の竹田へ。そして竹田と言えば滝廉太郎。彼の短い生涯を訪ねる

深沢七郎の小説「楢山節考」から信州へ。姥捨て伝説を追って更級へ

彦根で見つけた蒔絵の菓子盆。描かれているのは富士見西行。西行の謎の旅に思いをはせながら、小夜の中山をめざす。そこから山を下って、遠州森町へ。清水の次郎長の子分森の石松。

最後は伊勢神宮。哲学者ヴィトゲンシュタインの言葉「世界がどうあるかが神秘的なのではなく、世界があることが神秘的なんだ」を伊勢神宮で考える

タイトルの半空、ナカゾラは芭蕉の句から。旅は目的地で終わるものではなく、いつも半空なんだ。人生もいつも半空だと。

なかなか考えさせるものがある旅だった。この旅の頃、著者は70過ぎかな。私はそんな心境になれるかな