目を通したとは言えるが、どれだけ理解できたのか?
まあ特別結論があるわけでもないが、最後の方に著者の一年間にわたる調査、体験を通じて得たものについて述べている
個人的なパラダイムシフトという項目名で
出発点は神は存在するか?という疑問。言い換えれば、物質的現実以上のものがあるか?
そして得た結論は、科学は神が存在すると証明できないものの、神が存在しないとも証明できない。じつは、科学は、宇宙を構成して生命を生み出した「絶対的存在」と、完全に両立しうる
百年前にアメリカの心理学者のジェイムズは唯物論とスピリチュアリズムの二分法に関して考えた。どちらもそれぞれの範囲内では論理にかなっている。二つの違いは未来に目を向けたときにあらわれる。「唯物論とはたんに、道徳的秩序の永久不変性を否定し、究極的な希望を排除することを意味し、スピリチュアリズムは永久不変の道徳的秩序を肯定し、自由に希望を持たせることである」
現代では脳科学などで物質的な世界を越えた何者かを計測することができるようになり、スピリチュアルな体験が脳に指紋、足跡のような刻印を残すことが明らかになった。それは宗教のいかんに関わらず、いろんなスピリチュアルな体験に現れているが、ひとつのテーマが浮き出てくる。体験をすることで何かが変わる。著者にとってその触媒になったのは神だった。父なる神のような人格神ではなく、科学者たちが宇宙のような広大なものや原子のような微少のものの彼方に見いだした法則としての神。秀でた知性、方程式に命を吹き込むものと呼んだり、あるいは遍在精神、絡み合った情報の織物、非局在的な心といった言葉で述べたもの
こうした考察を進めていくことで、一度は捨て去ったクリスチャンサイエンスに著者は回帰したようだ
ただ信心とスピリチュアルな体験は区別した方がいい。宗教的な信心がすることは、スピリチュアルな体験の核心にある目に見えない現実を、説得力のある物語で説明しようと試みることだ。
宗教は人々がこの世の中を生きていくのを可能にする外面的な付加物で、それぞれの人によって違う
神を知覚し、交流する能力は脳に書き込まれている。スピリチュアルな体験は人を違った場所に運ぶエンジンである
宇宙は無限の知性ばかりでなく愛と正義と美によっても縫い合わされている
まあ特別結論があるわけでもないが、最後の方に著者の一年間にわたる調査、体験を通じて得たものについて述べている
個人的なパラダイムシフトという項目名で
出発点は神は存在するか?という疑問。言い換えれば、物質的現実以上のものがあるか?
そして得た結論は、科学は神が存在すると証明できないものの、神が存在しないとも証明できない。じつは、科学は、宇宙を構成して生命を生み出した「絶対的存在」と、完全に両立しうる
百年前にアメリカの心理学者のジェイムズは唯物論とスピリチュアリズムの二分法に関して考えた。どちらもそれぞれの範囲内では論理にかなっている。二つの違いは未来に目を向けたときにあらわれる。「唯物論とはたんに、道徳的秩序の永久不変性を否定し、究極的な希望を排除することを意味し、スピリチュアリズムは永久不変の道徳的秩序を肯定し、自由に希望を持たせることである」
現代では脳科学などで物質的な世界を越えた何者かを計測することができるようになり、スピリチュアルな体験が脳に指紋、足跡のような刻印を残すことが明らかになった。それは宗教のいかんに関わらず、いろんなスピリチュアルな体験に現れているが、ひとつのテーマが浮き出てくる。体験をすることで何かが変わる。著者にとってその触媒になったのは神だった。父なる神のような人格神ではなく、科学者たちが宇宙のような広大なものや原子のような微少のものの彼方に見いだした法則としての神。秀でた知性、方程式に命を吹き込むものと呼んだり、あるいは遍在精神、絡み合った情報の織物、非局在的な心といった言葉で述べたもの
こうした考察を進めていくことで、一度は捨て去ったクリスチャンサイエンスに著者は回帰したようだ
ただ信心とスピリチュアルな体験は区別した方がいい。宗教的な信心がすることは、スピリチュアルな体験の核心にある目に見えない現実を、説得力のある物語で説明しようと試みることだ。
宗教は人々がこの世の中を生きていくのを可能にする外面的な付加物で、それぞれの人によって違う
神を知覚し、交流する能力は脳に書き込まれている。スピリチュアルな体験は人を違った場所に運ぶエンジンである
宇宙は無限の知性ばかりでなく愛と正義と美によっても縫い合わされている