今近所の神社だけだがお参りしてきた。ここ数年は、この二つの神社しかいかないな。人混みは苦手だし、あまり信心がないのだろうな。
亡父は反対にいつもあちこちにお参りしてた。夜中に一人で行くこともあり、母と二人で行くことも。だから父がなくなったあとは、母をのせてあちこちめぐったものだが、母の足が不自由になり、アプローチの長いところには行けなくなり、ここ数年は、拝殿近くまで車が乗り込める近所のみ。
信心があれば私一人でどこにでも行けるのだが、渋滞、混雑を待っているのが我慢できず、行かなくなった
年取って、もう父の世代で元気なものは少なくなり、正月に訪れるのは私の妹たちくらい。その子供たちもみな成人となり、訪れることもなくなった。明日明後日に妹たちが来る以外、何もない正月休み
読書するには願ってもないはずなんだが、反対に本を前にしてもなかなか読みにかかれない
ほんとに読書好きなら、気分に合わせていつでも読めると、先日読んだ本にあった。つまりは気分に合わせて、違ったジャンルの本を読む訓練をしておけば、暇ができたときにいつでも読めるようになるとか。あるいは読む場所、環境ごとに読む本を変えるようにすると、四六時中、時間ができたときにいつでも読めるようになる。そんなことを読んで感心はしたものの、自分が実行するとなると難しいもんだな
今年は年男、還暦になる。壬辰年。奇しくも私の母親と息子も辰年。寿命が延びたとはいえ、あと何年まともに本が読めるか、どれだけ読めるか?好奇心に任せて、あれこれ目移りしていていいのかと、最近思うこともあるが。しかし、読書が私にとってどんな意味があるのか?少なくとも生活の糧ではないだろうし、誰かに発信するものでもない。面白かった、と一時的な楽しみでしかないと言っていいのかどうか。
亡父は反対にいつもあちこちにお参りしてた。夜中に一人で行くこともあり、母と二人で行くことも。だから父がなくなったあとは、母をのせてあちこちめぐったものだが、母の足が不自由になり、アプローチの長いところには行けなくなり、ここ数年は、拝殿近くまで車が乗り込める近所のみ。
信心があれば私一人でどこにでも行けるのだが、渋滞、混雑を待っているのが我慢できず、行かなくなった
年取って、もう父の世代で元気なものは少なくなり、正月に訪れるのは私の妹たちくらい。その子供たちもみな成人となり、訪れることもなくなった。明日明後日に妹たちが来る以外、何もない正月休み
読書するには願ってもないはずなんだが、反対に本を前にしてもなかなか読みにかかれない
ほんとに読書好きなら、気分に合わせていつでも読めると、先日読んだ本にあった。つまりは気分に合わせて、違ったジャンルの本を読む訓練をしておけば、暇ができたときにいつでも読めるようになるとか。あるいは読む場所、環境ごとに読む本を変えるようにすると、四六時中、時間ができたときにいつでも読めるようになる。そんなことを読んで感心はしたものの、自分が実行するとなると難しいもんだな
今年は年男、還暦になる。壬辰年。奇しくも私の母親と息子も辰年。寿命が延びたとはいえ、あと何年まともに本が読めるか、どれだけ読めるか?好奇心に任せて、あれこれ目移りしていていいのかと、最近思うこともあるが。しかし、読書が私にとってどんな意味があるのか?少なくとも生活の糧ではないだろうし、誰かに発信するものでもない。面白かった、と一時的な楽しみでしかないと言っていいのかどうか。