駒込富士神社と富士浅間神社(文京区) | こあらぐみ

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人生いろいろあるけど…
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自分に喝!!

この日は別の用事で外出したが早く終わったのでふらふらと立ち寄った。来ると決めていたらカメラを持って行ったのだけど、残念ながら苦手なスマホ写真です指差し




駒込富士神社(文京区本駒込)

[駒込冨士]

へぇ~、と、思った。色んな意味で。以前東洋文庫ミュージアムや六義園へ出かけた時にこの神社の前を散策ことがあった。その時は消防車が入っていて訓練かな?と思ったのだけど……

奥にはこんな大型富士塚が鎮座していたとは……

もうひとつのへぇ〜は、こちら↓

なんとも派手やかな石造物です?!彩色されています看板持ちまといの図柄や〇〇組とか、どうやら火消しと関係有りそう。以前消防車が停まっていたのは、その辺りと関係あるのかしら(お祓いしていたとか)?
全体像はこんな感じ。手前㊨は御神木のカヤ。
富士塚の中央階段は男坂。とても急でがくぶるしたけど、ゆるやかな女坂もあり(ホッひらめき
この富士塚は以前は本郷(東大敷地内)にあり、その後この地へ移設されたと言われている。その際前方後円墳を利用したとか。古墳利用の富士塚もたまにあるようだけど、はっきりしたことが解らないことも多いみたいです。
この神社の主役はまさしく富士塚。境内は広いけどガラーンとしている。富士塚はとても大きく拝殿も富士塚の頂きにあります。
当時神社の氏子はおらず富士講のメンバーが代わりをしていたとのことです。


②富士浅間神社
(文京区本郷)

↑由来書きには、駒込富士神社はこちらの富士浅間神社から勧請したという伝承があるとのこと。

また現在の東大赤門付近にあった小丘は「椿山」「富士山」「富士塚」と呼ばれそちらに富士浅間神社が祀られていたとのこと。
しかしその後加賀藩の江戸屋敷として土地が接収された。現在の富士浅間神社といえば(↓の写真参照)ビルの谷間の細〜い場所に移設されております。ちなみにこの神社の通りには消防所の本富士署がある。(この辺りは本富士町と言われていた)意外なところ(地名)に富士の名残りがあるのですが、この小さな小さな神社の中にも富士塚の名残はないかとさがしたところ…
これは?!(写真右奥)なんとなくお山っぽいものが?


イチョウの木に寄り添うように石とコンクリートに固められた石造物「冨士浅間大神」がありました。うーむ、山とは言い難いかな?せめて黒ボクのひとつでもあれば…けど個人的には雰囲気はあるひらめき

↓なんとか裏に回りました。
真ん中の行は
「明治十四年六月一日」?
左の行は
「長屋中」?
右の行は良くわからない
「■用聞中」
■は「名」に似ている
*調べたところ「御用聞中」が正解。

当時屋敷そばの長屋の人たちが寄進したのでしょうか。


🐦

今回は文京区にある駒込冨士神社と冨士浅間神社(元富士)を紹介しました。
こうやって場所を移動しながらも残ってゆく富士塚がある一方で、消失したものも多い。
富士塚が先で神社があとからできたものもあれば、個人宅にあるもの、古墳利用のものなど関東には大小色んな富士塚があって興味深い。
富士塚って何なのだろう

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旧地名を使った消防所(本富士署)とこちら小さなちいさな神社。
このふたつが本郷にお富士さんがあったことを証明してくれましたひらめき
また駒込富士は、昨年いった木曽呂の富士塚と比べたら随分人工的だけど江戸の人たちの活気が感じられて面白かった。
山開きにゆきたいな。



*木曽呂の富士塚の2つの記事




そう言えば…木曽呂の記事も実は完結していない泣き笑い