以前のブログで、宗教に興味があると書きました。
多くの日本人がそうであるように、僕は何か特定の信仰を持つ人間ではありません。
お盆には墓参りに行きますが、自分の家の墓が何宗のお寺なのかもすぐには思いだせません。
クリスマスにはケーキを食べましたが、イエスについて思い馳せることもありませんでした。
仏教やキリスト教系の新宗教である、創価学会やエホバの証人という宗教団体もあります。
僕は先日、八王子にある東京富士美術館という美術館に行ってきました。好きな画家の1人であるジョルジュ・ド・ラトゥールの絵を見ようと思って見に行ったのですが、他にもルーベンス、、ドラクロワ、コロー、ミレー、マネ、ルノワール、モネ、セザンヌ、シャガールなど、有名な画家の作品がたくさん展示されていました。
この美術館を創設したのは、池田大作らしいです。美術館の隣には創価大学が建っていました。
どこまでの繋がりがあるのか知りませんが公明党と繋がってて、大学もあって、美術館もあって、
どんだけ金あるんだろう
と、ちょっと恐くなりました。
恐くなるといえば、オウム真理教を思い出します。
松本サリン事件や地下鉄サリン事件が起こり、連日ニュースのトップで報道された当時、逮捕報道を見るたび幼心に強く思ったことがありました。
この人たちすごい頭いいんだ。
報道される幹部の学歴には、東大や早稲田といった上位大学の名前が並んでいたように思います。
もちろん学歴イコール人間としての能力ということにはならないでしょうが、少なからず論理的な思考ができそうな人たちがこのようなテロ行為とも言える殺人事件を起こすということは当時の僕にとって衝撃でした。
なにがこの人達をそうさせるんだろう。
この人達をここまで動かす、信仰というものはどんなものなんだろう。
世界の歴史に目を向けてみても、宗教上の理由による争いはいくつもあります。
科学の進歩は時として宗教による弾圧との戦いとなりました。
ナチスによるユダヤ人虐殺も、これに似た経緯があるのではないかと思います。
ファシズムとよばれるこの政策は、国全体の方針であるため宗教という言われ方はしませんが、信仰に限りなく近い精神状態ではないかと思います。
「戦争の世紀をこえて」という姜尚中と森達也の対談本で、2人はイエドヴァブネという村を訪れます。
この村では、ナチスの被害者であるポーランド人によるユダヤ人虐殺が行われたそうです。
同じ村の隣人として暮らしていたユダヤ人を虐殺するというこの行為はどのようにして生まれてしまったのでしょうか。
戦争だから、やらなければやられるから、ナチスにやらされたから、などの理由が考えられますが、どうもそれだけではない気がします。
うまく言葉に表現することができなくてもどかしいですが。
森達也はこの本の中で「思考が停まった状態」と書いていました。
日本も同じような状態でした。
天皇のために死ぬことを美学として盲信し、そうでない人間を国賊、非国民と迫害し、
中国では南京大虐殺や731部隊による生体実験なんてものが行われました。
話がそれますが、現在では南京大虐殺は中国側のでっちあげで事実ではないという意見が出てきているような話を聞きます。そんな話は正直言って全くのナンセンスだと思います。
話に大なり小なりはあるかもしれませんが、史実として捉え、考えていかなければならないと思います。
日本に限らず、世界の首脳陣が戦争という最悪の選択した理由はなんだろう。地球から戦争がなくならない理由はなんだろう。
これを感情論ではなく、考えていきたいです。
話が飛び散りましたが、「アンネの日記」のレビューです。
この本を読んで1番に思ったのは、この本がよく戦火を免れて世に出たな、というものです。
ナチスに捕まるのを逃れて隠れ家で生活する少女の、非日常的な日常を記した日記。
それだけにこの本には歴史的価値があると思います。
正直、読んでいて涙が止まらなくなるような感動をしたかと言われると、そうでもありませんでした。それはあまりにも日記が日常的だからかもしれません。
しかしだからこそ、読み終えた後いろいろ考えることがありました。
僕は戦争を体験した世代ではありません。本や映像からしか当時の状況を知る術はありません。
いろんな本を読んで、考えたいです。
多くの日本人がそうであるように、僕は何か特定の信仰を持つ人間ではありません。
お盆には墓参りに行きますが、自分の家の墓が何宗のお寺なのかもすぐには思いだせません。
クリスマスにはケーキを食べましたが、イエスについて思い馳せることもありませんでした。
仏教やキリスト教系の新宗教である、創価学会やエホバの証人という宗教団体もあります。
僕は先日、八王子にある東京富士美術館という美術館に行ってきました。好きな画家の1人であるジョルジュ・ド・ラトゥールの絵を見ようと思って見に行ったのですが、他にもルーベンス、、ドラクロワ、コロー、ミレー、マネ、ルノワール、モネ、セザンヌ、シャガールなど、有名な画家の作品がたくさん展示されていました。
この美術館を創設したのは、池田大作らしいです。美術館の隣には創価大学が建っていました。
どこまでの繋がりがあるのか知りませんが公明党と繋がってて、大学もあって、美術館もあって、
どんだけ金あるんだろう
と、ちょっと恐くなりました。
恐くなるといえば、オウム真理教を思い出します。
松本サリン事件や地下鉄サリン事件が起こり、連日ニュースのトップで報道された当時、逮捕報道を見るたび幼心に強く思ったことがありました。
この人たちすごい頭いいんだ。
報道される幹部の学歴には、東大や早稲田といった上位大学の名前が並んでいたように思います。
もちろん学歴イコール人間としての能力ということにはならないでしょうが、少なからず論理的な思考ができそうな人たちがこのようなテロ行為とも言える殺人事件を起こすということは当時の僕にとって衝撃でした。
なにがこの人達をそうさせるんだろう。
この人達をここまで動かす、信仰というものはどんなものなんだろう。
世界の歴史に目を向けてみても、宗教上の理由による争いはいくつもあります。
科学の進歩は時として宗教による弾圧との戦いとなりました。
ナチスによるユダヤ人虐殺も、これに似た経緯があるのではないかと思います。
ファシズムとよばれるこの政策は、国全体の方針であるため宗教という言われ方はしませんが、信仰に限りなく近い精神状態ではないかと思います。
「戦争の世紀をこえて」という姜尚中と森達也の対談本で、2人はイエドヴァブネという村を訪れます。
この村では、ナチスの被害者であるポーランド人によるユダヤ人虐殺が行われたそうです。
同じ村の隣人として暮らしていたユダヤ人を虐殺するというこの行為はどのようにして生まれてしまったのでしょうか。
戦争だから、やらなければやられるから、ナチスにやらされたから、などの理由が考えられますが、どうもそれだけではない気がします。
うまく言葉に表現することができなくてもどかしいですが。
森達也はこの本の中で「思考が停まった状態」と書いていました。
日本も同じような状態でした。
天皇のために死ぬことを美学として盲信し、そうでない人間を国賊、非国民と迫害し、
中国では南京大虐殺や731部隊による生体実験なんてものが行われました。
話がそれますが、現在では南京大虐殺は中国側のでっちあげで事実ではないという意見が出てきているような話を聞きます。そんな話は正直言って全くのナンセンスだと思います。
話に大なり小なりはあるかもしれませんが、史実として捉え、考えていかなければならないと思います。
日本に限らず、世界の首脳陣が戦争という最悪の選択した理由はなんだろう。地球から戦争がなくならない理由はなんだろう。
これを感情論ではなく、考えていきたいです。
話が飛び散りましたが、「アンネの日記」のレビューです。
この本を読んで1番に思ったのは、この本がよく戦火を免れて世に出たな、というものです。
ナチスに捕まるのを逃れて隠れ家で生活する少女の、非日常的な日常を記した日記。
それだけにこの本には歴史的価値があると思います。
正直、読んでいて涙が止まらなくなるような感動をしたかと言われると、そうでもありませんでした。それはあまりにも日記が日常的だからかもしれません。
しかしだからこそ、読み終えた後いろいろ考えることがありました。
僕は戦争を体験した世代ではありません。本や映像からしか当時の状況を知る術はありません。
いろんな本を読んで、考えたいです。