笑福亭仁鶴さんの思い出 | アントニオ小猪木 オフィシャルブログ powered by Ameba

笑福亭仁鶴さんの思い出



笑福亭仁鶴さんが亡くなられたという訃報をニュースを知った。


仁鶴さんといえば、アントニオ小猪木がアントニオ小猪木になる前の1996年に日本テレビ系列『いつみても波瀾万丈』の「笑福亭仁鶴編」での再現ドラマで笑福亭仁鶴役をやらせてもらったことがあった。小猪木が24歳の時のことだ。


小猪木も当時はお笑いグループのラヴ兄弟というユニットを結成している中、仲間たちとほぼケンカの毎日でお笑いに対してどこか苛々していたり、よくわからなくなってきていたり、自信もなくなりそうな時にオーディションの話が来て「仁鶴さんの役だなんて似てもないし、関西弁も喋れないし、俺には受からないだろうなあ。でも自分なりにオーデションを楽しんで来よう!」なんて開き直って受けたらそれが返ってよかったのか合格してしまっていた。後でディレクターになぜ合格だったかの話を聞くと「元気がよかったから!」と採用してくれたようだ。



そんな中、撮影は楽しく進み、仁鶴さんの奥さんの岡本隆子役の女優さんと関西弁でのセリフの練習を丁寧にゆっくりたくさんしていたら、それを聞いてたスタッフに「二人のセリフは留守番電話の音声か!?」なんで笑われたこともあった!いい思い出だ!



一日中の3日間の撮影で初日に落語のビデオテープをスタッフから渡されたのだけど、「落語のイメージを観ておいて!」と言われて持ち帰った。観てるうちに「これは見るだけではダメかも…」と思って寝ないでその落語を覚えた。翌日、最初は音声を録らないで雰囲気のみの撮影としていたらしいが、しどろもどろではあったが頑張って覚えたのが幸いし、音声も使ってもらっていた。そのシーンは仁鶴さんが若手の頃の苦労されてた落語のシーンで使われた。



撮影ではコントユニットの成果を活かして色んな場面の小ボケを採用してくれたディレクター。あの3日間の撮影は本当に楽しかったし、感謝している。おかげで自信も取り戻せた。



スタジオでは仁鶴さんと奥様の岡本隆子さんとの最初の出会いから結婚までの再現を観ていた仁鶴さんが「昔の話や…」とはにかみながら涙していた。その涙を観て小猪木はすごく嬉しかった。



1996年の撮影から13年後の2009年の『桜を見る会』で仁鶴さんにお会いすることができた(写真)!



お会いできた嬉しさから勢いよくご挨拶してしまって仁鶴さんはきっと「なんやなんや?」と思ったろうけど、仁鶴さんは笑顔で歓迎してくれた。お会いできて感動した。凄く嬉しかった!



そんな仁鶴さんが84歳で亡くなられたニュースはショックだった。



小猪木の人生で忘れられない仁鶴さんとの思い出。ありがとうございました。



ご冥福をお祈りします。