思い出の新座市民総合体育館 | アントニオ小猪木 オフィシャルブログ powered by Ameba

思い出の新座市民総合体育館




埼玉の新座をぷらぷらした!


懐かしいなあ!


学生時代は埼玉の志木に住んでいたからこの辺もホントよく来た場所だ!


あっ、埼玉・新座市民総合体育館の看板が出てきた!



思えばむかーし、平成元年に成り立てだった頃、この体育館に新日本プロレスの観戦に行ったなあ!



会場内にはアントニオ猪木さんがひょろっと出てきて暗い会場の隅で握手をしてもらったことがある。



これが初めて握手してもらった時であった!



握手をしてもらう直前に真っ暗な会場なのに猪木さんは光のオーラが放たれまくっていて神々しかった!



「握手してください!」とお願いしてから握手してくれるまでなんか時が止まったかのように感じてしまい、すぐに手を差し伸べてくれていただろうけど、なんか手を出してくれるまでゆっくりゆっくりスローモーに感じてしまった。



たった「握手してください!」と言っただけだったのに十代の頃に大好き過ぎる女の子に告白した時くらい時間が止まり、緊張した!



その握手してくれるまでの間から引っ叩かれるんじゃないかというオーラも感じた。



凄まじかった!



そしてゆっくり握手してもらった。頭の中と目の前が真っ白になっていた!



この大会のシリーズ最終戦でソ連の柔道金メダリストのショータ・チョチョシビリとの異種格闘技戦でリベンジし、プロレス界から戦線を離れて政治家になる(細かくは立候補する)直前で思えば、この直後くらいにあの有名な話題となった予備校生にビンタしてから一般人への「闘魂注入」が流行り始めた。小猪木もこの流行り始めた頃の講演会では「闘魂注入」をしてもらったこともある。



闘魂注入はよく猪木さんが若い弟子たちがビッグマッチで緊張している中、気合いを入れるためにビンタをして喝を入れる場面がよくテレビで映し出されていた!ファンたちは「オレたちも猪木さんに気合いを入れてもらいたい!」という思いが爆発した頃だったのだろう。十代後半の小猪木もその一人であった!



正直、この平成元年の頃ではプロレスのキャリアでは晩年だった猪木さん。この頃から後輩たちに世代交代をしてメインの座をバトンタッチをしていたのだが、この握手を初めてしてもらった時でも凄まじいオーラだった。全盛期の頃だったらもっとヤバイくらいの殺伐とした戦慄のオーラを放ちまくってたんじゃないかなと思うとその頃も会ってみたかった。どう感じたのだろう。あの頃の猪木さんはもっともっと殺気がヤバかったんじゃないかなと想像する。



ちなみにこの新座の大会ではアントニオ猪木さんが第一試合にサプライズ登場し、後藤達俊選手と初のシングルマッチが実現した。



この大会はノーテレビ大会だったのだけど、当時の新日本プロレスは必ずマニアがうなる好カードがある。



この大会では試合中盤に行われていた藤原喜明対マサ斎藤のシングルマッチだ!


豪華なカードを目の前で観ている。



今思うと地元の同級生に誘われて新座市民総合体育館大会の応援に行った。猪木さんと握手できるとは思わなかった。



そんな思い出の新座市民総合体育館であった。